居心地のいい場所に安住していたら成長はない
変化を恐れず、グローバルで勝負し続けるコンサルタントの生き様

タワーズワトソン株式会社 代表取締役社長

大海太郎さん

大海太郎さん(タワーズワトソン株式会社 代表取締役社長)

人事・財務領域に特化したプロフェッショナルファームとして、日本企業のグローバル戦略を支援するタワーズワトソン。その日本代表を務める大海太郎さんは国内大手銀行からキャリアをスタートし、海外でMBAを取得。著名な戦略コンサルティングファームに勤務した華々しい経歴の持ち主です。しかし、その歩みの中では日系企業と外資系企業の風土の違いに戸惑い、「カルチャーショックに打ちひしがれていた」時期もあったと打ち明けます。自身の得意領域に安住することなく、次々と新しい役割に挑む大海さんのモチベーションはどこから生まれるのでしょうか。「キャリアにおいて無駄なことは何一つない」と語る大海さんの挑戦と成長を続ける強いマインドセットに迫りました。

プロフィール
大海太郎さん
タワーズワトソン株式会社 代表取締役社長

おおがい・たろう/1987年に東京大学経済学部を卒業後、日本興業銀行に入行し資産運用業務などに従事。1994年ノースウェスタン大学経営学修士(MBA)ファイナンス専攻。1999年にマッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社し、国内大手企業や多国籍企業に対して経営全般のさまざまな課題についてアドバイザリー業務を担う。2003年にウイリス・タワーズワトソン入社、2006年よりインベストメント部門を統括し、日本の年金基金を中心とした機関投資家向けにガバナンスの構築や運用方針の立案や実施、運用機関の調査・評価に携わり、業界の発展に尽力。2013年より現職。 公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。

為替ディーラーだった父の背中を追いかけて銀行へ。厳しい職場で身につけた「レジリエンス」

大海さんは銀行からキャリアをスタートしていますが、どのような学生時代を経て金融業界を目指したのでしょうか。

私はバブル真っただ中の1980年代に学生時代を過ごしました。当時のどこか気楽な世相に影響されていたのか、勉強以外にもサークル活動にのめり込んだり、アルバイトに打ち込んだりと、自由気ままに生きていましたね。 

バブル期ということもあって、就職活動は超売り手市場。自宅には企業案内のダイレクトメールが山のように届きました。友人たちの間に「○○社から内定をもらうと、他社に流れるのを防ぐために長期間のハワイ旅行へ連れていってもらえるらしいぞ」などといった噂話が流れていたのを覚えています。都市伝説のような不確かな話ですが、当時はそれくらい企業側が必死だったのです。

そんな時代だったので、私自身も就職活動で深刻になることはありませんでした。経済学部出身であること、父親が銀行員として当時は珍しい為替ディーラーをしていたことから、興銀(日本興業銀行)への就職を決めたのです。当時の興銀は「産業金融の雄」と言われ、大企業同士の合併を主導するなど、まさに日本の産業を支える存在でした。しかし、私はそうした業務ではなく、「父親と同じく為替のディールを仕事にしたい」と考えていました。

興銀入行後はどんな若手時代を過ごしていたのですか。

入行後は希望通り為替のディールを担当する部署に配属され、そこで5年間を過ごしました。

為替に関わる仕事はとにかくスピーディー。日本時間の月曜早朝に開くオーストラリア市場から、同じく日本時間の土曜朝に閉じるニューヨーク市場までを追いかけ、切れ目なく業務が続きます。新人時代の私の日課は朝早くに出勤し、FAXの前身であるテレックスという機器で取り寄せた前日のニュースを印刷してまとめ、先輩たちの机に並べることでした。いざ業務時間となれば、電話を取ったり使い走りをしたりと、ありとあらゆる雑用をこなしていました。

いつもピリピリとした雰囲気の職場でしたし、厳しく怒鳴り散らす上司もいましたが、状況を考えれば無理もありません。為替のディールは瞬時に「売るか」「買うか」を判断しなければならず、現場は大きなストレスにさらされます。今にして思えば、私はあの職場で瞬間的な判断能力を鍛えられ、ストレスの大きい現場でも業務遂行するレジリエンスを身につけたのでしょう。

興銀時代にはノースウェスタン大学への留学も経験されています。

私は子ども時代に、父の仕事の都合でヨーロッパでの生活を経験しました。それもあって漠然と「海外へ行きたい」という思いを抱いていたのです。興銀が設けていた社費留学の対象に選ばれるという幸運に助けられ、渡米してMBAを取得。これは私自身のキャリアのターニングポイントでもありました。

「発言しないなら意味がない」。外資系コンサルで直面したカルチャーショック

その後、興銀を退職してマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社されます。当時は銀行からコンサルティングファームへ移る人は珍しかったのではないでしょうか。

そうですね。安定した職場だと見なされていた大銀行を辞める人自体が少なかったと思います。

私が転職を考えるようになったのは、職場で大企業病のような空気を感じ始めたことがきっかけでした。当時の私は課長補佐のポジションでしたが、新たな顧客開拓方法などを組織へ提案する際は、私の上にいる筆頭課長補佐、課長、室長、副部長、部長、そして担当役員と、実に6人へ稟議を通さなければいけなかった。途中で一人でも疑問が出ると提案は通りません。次第に「こうした環境で新しいことにチャレンジできるのか」という閉塞感を覚えるようになりました。その頃は日本の金融危機が現実味を帯び始めていて、銀行を取り巻く環境が厳しさを増していたことも理由の一つです。

大海太郎さん(タワーズワトソン株式会社 代表取締役社長)インタビューの様子

また、人事部が決めた異動や配属に逆らえない体制であることにも疑問を持ち始めていました。私は初期配属や社費留学の希望をかなえてもらっていましたが、この先40代や50代になっても同じように希望が通るとは思えなかったのです。その頃には結婚して子どもがいるかもしれない。家のローンだって抱えているかもしれない。「辞めます」と言えなくなる前に、まだ若いうちに動こうと決意しました。

なぜマッキンゼー・アンド・カンパニーを次の職場に選んだのでしょうか。

きっかけは人材エージェントに求人を紹介してもらったことでした。留学時代に見聞きしたアメリカ人の学生たちの希望就職先には、ゴールドマン・サックスのような投資銀行と並んでマッキンゼー・アンド・カンパニーのようなコンサルティングファームがありました。それを思い出して、「新しい挑戦をしてみよう」と思ったのです。

入社した1999年は金融危機のピークであり、得意とする金融関連のプロジェクトが少なく、私は製薬やハイテク素材などのプロジェクトで事業計画立案や営業改善に従事しました。しかし、意を決して飛び込んだコンサルの世界は甘いものではなく、苦労の連続でした。

コンサルティングファームの「甘くない」部分とは何でしょうか。

今でも思い出すたび、背筋が伸びる場面を経験しました。マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社して1ヵ月ほどが過ぎた頃のことです。ある社内ミーティングに参加した後、その場にいたパートナーから「大海さんは今のミーティングで一言も発言しませんでしたよね。それならミーティングに参加する意味がないので、自分の席で仕事をしていてください」と言われたのです。

衝撃的でした。当時の私は「入社1ヵ月の新人が偉い人のいる場でしゃしゃり出るべきではない」と考えていたからです。自分の中での常識が覆されましたね。銀行時代の私は言われたことをそつなくこなすタイプでしたが、ここでは同じようにはいかないのだと痛感しました。

典型的な日本企業である前職と比べて、外資系コンサルティングファームにはまったく違う風土があったのですね。

風土だけでなく、スピードもまったく違いました。銀行時代の上司からの依頼といえば、「上半期中にまとめてくれればいいよ」といった、のんびりしたものでした。しかしマッキンゼー・アンド・カンパニーでは3ヵ月単位でプロジェクトが動き、その3ヵ月で目に見える成果を出さなければなりません。朝にミーティングを開き、個別に業務担当を決めてその日の夕方に進捗を確認するというスピードも当たり前。

いわばカルチャーショックのような状態にあった私は、初めてのコンサルの仕事で成功の手応えを得られないまま、ウイリス・タワーズワトソンへと転職しました。

「個人」から「チーム・人」への意識の変化。次々と大きな役割に手を挙げられた理由

そうしたカルチャーショックを覚えながらも、再び外資系コンサルティングファームへ転職したのはなぜですか。

銀行時代は為替ディールやファンドマネジャーの仕事のみでしたが、マッキンゼー・アンド・カンパニーでは目まぐるしく、さまざまな仕事に従事できました。現在につながる人事の仕事に初めて触れたのもこの時期です。そんな経験を積んだ上で、あらためて自分が興味を持っている金融分野に強みを持つ環境へ移りたいと考えたのです。

ちょうどその頃、タワーズワトソンでは資産運用部門のマネジャーを担える人材を探していました。私は運用業務もコンサルの経験も積んでいたので、ある程度の自信を持って飛び込んでいくことができました。

大海さんは2003年にタワーズワトソンへ入社し、ガバナンス構築や運用方針の立案・実施、運用機関の調査・評価などの業務を経て、2013年に代表取締役社長に就任しています。10年間で大きなキャリアアップを実現されているのですね。

タワーズワトソンでは4〜5年に一度くらいのペースで自分の役割が大きく変わり、そのたびに新しい挑戦を続けてきました。

運用コンサルティング部門のヘッドに就任した頃から、自分自身のキャリアだけでなく、どうすれば自分のチームがより成長するのか、クライアントにもっと自分たちのサービスを受け入れてもらえるのか、そして自分たちの待遇をさらにステップアップさせていけるのかを考えるようになりましたね。それまでは個人のことばかり考えてきましたが、チームや人を意識するようになり、その対象が自然と自チームだけでなく会社組織全体へ広がっていったのです。

そうした視点は自分の力だけで得られたわけではありません。社内の仲間たちが私の背中を押してくれたからこそ、次々と大きな役割へ手を挙げることができました。現在はタワーズワトソンの日本代表を務めつつ、運用コンサルティング部門ではアジア・パシフィック地域のヘッドも担っています。

組織内で味方を増やしていく秘訣はどこにあるのでしょうか。

端的に言えば「責任感」だと思います。上の立場になればなるほど、厳しい選択を迫られるもの。極端なことを言えば、残念ながら成果が上がらない人の処遇に対して最終的に何らかの判断を下さなければならないこともあります。つらい局面から逃げることなく、自分自身で責任を担う覚悟を示すからこそ、周囲からの信頼を得られるのではないでしょうか。

今のままではグローバルで勝てない。日本企業の真の変化を支えるコンサルタントの役割とは

現在の貴社は、プロフェッショナルファームとしてどのような領域に注力していますか。

いわゆる戦略系のコンサルティングファームとは異なり、当社の強みは人事や財務・運用の領域に特化していることです。

変化の激しい時代にあって、日本企業の多くが変革の必要性に迫られています。「取締役会のガバナンスはどうあるべきか」「トップはどのように戦略を社内へ伝えていくべきなのか」「その浸透度を図るサーベイは何か」。こうした課題に対して、当社では一貫した支援を行っています。日々グローバルで戦っているので、日本企業がグローバルの競合とどう向き合っていくべきなのかについても熟知しています。

グローバル視点から見た日本企業の課題とは何でしょうか。

積極的に海外進出を続けている日本発のグローバル企業、売上高比率や従業員比率がすでに海外のほうが多い企業でも、「人事制度は日本版のまま」というケースが珍しくありません。海外の子会社や拠点にはグローバル制度を導入しているのに、日本だけは切り離している企業もありますよね。これでは国境を越えた人材の異動が難しくなりますし、人事制度そのものの説得力が損なわれてしまう。政府はジョブ型人事制度への転換を推進しようとしていますが、今のままでは難しいでしょう。日本企業には本質的な変革が求められているのです。

歴史を振り返れば、高度経済成長期に伝統的な日本型の人事システムがうまく機能しすぎたため、見直しの機会を失ってしまっていたのかもしれません。しかし高度成長期と今とは、まったく状況が違います。かつての時代に最適化された仕組みをどう変えていくか。終身雇用や年功序列のにおいが残ったままの制度ではグローバルに対応できません。処遇のあり方や世代別の対応、採用の手法も再考すべきでしょう。

大海太郎さん(タワーズワトソン株式会社 代表取締役社長)インタビューの様子

人事は、経営トップが何を目指していて、何を実現しようとしているのかを深く理解しなければなりません。経営と人事との真の連携が求められ、人的資本経営の本質が問われる時代に、私たちは全力で向き合っていかなければならないと考えています。

日本企業がなかなか変われない背景には、どんな問題があるのでしょうか。

私は日系企業と外資系企業の両方で働きました。その経験から、率直に言って日本企業には非常に悲観的な思いを抱いていました。なぜなら、海外の企業と比べて物事の考え方や進め方があまりにも違うからです。

日本の大企業では、自分の頭で物事を考えず、部下に正解を探させようとする上司が珍しくありません。プロジェクトを動かしている中で、上役に「ちゃんとやっている」と見せるためのアリバイ作りに奔走しているようなシーンも見かけます。「競合はどうしているのか」「国はどう言っているのか」と、他者の物差しを気にしてばかりいるのも日本企業の特徴ではないでしょうか。

何よりも問題だと感じるのは、決断することを恐れる傾向があることです。これでは永遠にスピードで海外企業に勝てません。私たちコンサルタントが何かを提案した際に「持ち帰って検討します」という言葉をどれほど聞いてきたか。グローバルでは、重要なミーティングには必ず決裁者が出てきて、その場で決断することが当たり前なのです。

これに付随して申し上げれば、私たちのようなプロフェッショナルをうまく使いこなせていない日本企業は多いと感じています。純粋主義や内製主義にこだわって何でも自社で完結させようとしたり、逆に自社の課題なのにコンサルへ丸投げしたり。

批判的なことばかり述べてきましたが、私たち自身もさらなるレベルアップが求められていることは言うまでもありません。今後プロフェッショナルファームは、本当に付加価値をもたらすことができる存在であることを、これまで以上に厳しく問われるはず。コンサルタントは言い訳のための仕事でお金を稼いで満足していてはいけないのです。

いかにクライアント企業の成果につなげられるか。どれだけ大きなインパクトを残せるか。素晴らしいレポートをまとめて渡しても、それが捨てられて終わってしまうようでは意味がありません。クライアントが私たちの提案に腹落ちし、強力に自走できる状態にすることがコンサルタントの価値であり、使命なのだと思っています。

「居心地のいい領域」に安住せず、新しい役割に挑戦することでこそ成長実感を得られる

今後に向けて、どのような展望を描いていますか。

グローバル規模の実績と知見を持ち、人事領域において総合的なサービスを提供できるプロフェッショナルファームとして、日本企業のグローバル競争力を高めることに注力していきたいと考えています。

私自身について言えば、キャリアの総仕上げという意味で、外から偉そうに言っているだけではなく、新たなフィールドの企業経営者として挑戦したいという思いもあります。

大海さんのキャリアはまだゴール地点には達していないのですね。貪欲に新しいチャレンジを続けるモチベーションの源泉はどこにあるのでしょうか。

「新しい経験がさらに自分を成長させてくれる」という確信を持っていることです。

私は資産運用のコンサルティングから入り、この業界ではそれなりに専門家として知見を積み重ねてきました。何を聞かれてもクリティカルに答えられますし、その結果として多くの人に感謝されています。私にとっては大変居心地のいい領域です。

しかし、タワーズワトソンの日本代表という立場は、居心地のいい領域に安住しているだけでは務まりません。新たな人事領域について専門性を高めていく必要があり、その経験が自分を成長させてくれたのです。

アジア・パシフィックの代表に就任したときも同じでした。私は子ども時代を海外で過ごし、MBAも海外で取得していますが、キャリアの大半は日本で働いてきたので、海外出身のメンバーをマネジメントした経験がほとんどありませんでした。当初は不安もありましたが、それでも実際にやってみると、「日本と海外のマネジメントが根本的に違うわけではない」と気づくことができました。

従来の知見や経験で勝負できる領域は居心地がいいし、人によっては楽だと感じるでしょう。ただ、その環境が本当に自分の成長につながるかというと、疑問が残ります。一方で、新しい環境に飛び込むのも大変です。組織のことも仲間のこともクライアントのことも一からインプットしていかなければいけませんから。しかし、その苦労を乗り越えたときに、大きな達成感と成長実感を得られます。だからこそ私は、新しい役割に挑戦し続けているのだと思います。

逆説的に言えば、どんな仕事も無駄にはならない、ということです。若いビジネスパーソンの方々の中には、現在担当している仕事が本意ではなかったり、自分の力を発揮できないと感じていたりする人もいるかもしれません。しかし、そうした環境においても目の前のことに一生懸命取り組めば、必ず得られるものがあるはずです。

キャリアにおいて無駄なことは何一つない。そう信じて今の役割に向き合うマインドこそが、自分を次のステージへ押し上げてくれる原動力になるのではないでしょうか。

大海太郎さん タワーズワトソン株式会社 代表取締役社長

(取材:2023年5月11日)

社名タワーズワトソン株式会社
本社所在地東京都千代田区内幸町2-1-6日比谷パークフロント13階
事業内容グローバル退職給付の制度設計、管理、債務の数理計算、グローバル人事ソリューション、データ、アドバイザリーの提供
設立1987年5月

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「HRペディア「人事辞典」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。

HRソリューション業界TOPインタビューのバックナンバー

関連する記事