事業会社での幅広い経験を生かして、
コンサルティング会社へ転身
多様な人事の専門家を率い、顧客の課題を解決
マーサー ジャパン株式会社
鴨居達哉さん
今、企業は、グローバル化や顧客ニーズの複雑化、多様化の中、いっそう難しい経営のかじ取りが求められています。そのような中で、「人と組織」を活性化し、多様化するタレントを大きな資産に変えることが、かつてないほど重要な時代となってきました。マーサー ジャパンは、1978年の設立から30数年あまり、グローバルなネットワークを活かしながら、多くの企業の人材・組織の課題解決に取り組んできた、世界最大級の人事コンサルティング会社。2014年8月に社長として就任された鴨居達哉さんに、これまで培われてきた知見を伺うとともに、同社の「強み」や具体的な取り組み内容、課題などについて、詳しいお話を伺いました。
- 鴨居達哉さん
- マーサー ジャパン株式会社 代表取締役社長
かもい・たつや/セイコーエプソン株式会社、プライスウォーターハウスクーパース株式会社、IBM ビジネスコンサルティング サービス (IBCS)、米国IBMを経て、2006年日本IBM 執行役員兼 IBMビジネスコンサルティングサービス取締役、2012年日本IBM常務執行役員に就任。2014年8月、マーサー ジャパン株式会社代表取締役社長兼 Mercer Far East Market Leaderに着任。事業会社、コンサルティング会社双方における経営の経験を有し、15年以上に亘り国内外のグローバル企業のコンサルティング、IT構築の推進に従事。 10年以上の海外業務経験を生かし、ビジネスのグローバル化に関する豊富なコンサルティング経験を持つ。上智大学外国語学部卒。1961年長野県生まれ。
事業会社での幅広い経験を生かしたいと考え、コンサルティング会社へ
鴨居さんは事業会社からコンサルティング会社へと転じ、その後、マーサー ジャパンの代表取締役社長に就任されました。キャリアの変遷についてお聞かせください。
高校生の頃から、海外で仕事をしたいと考えていたこともあり、大学は外国語学部(ドイツ語専攻)を選択しました。就職する際も、メーカーなど海外におけるビジネスの割合が高い会社を考えていました。そして、いくつかあった選択肢の中から、地元の長野県に本社を置くセイコーエプソンに入社しました。セイコーエプソンでは、海外で新規事業の立ち上げを経験。新しく会社を設立するミッションを課せられ、オランダに赴任したのですが、そこでは多様なバックグラウンドや国籍を持つ人たちと一緒に仕事することができました。モバイルや通信など、新しい商品の事業企画も担当していました。
「経営」に近い場面で仕事をしていく中で、その経験をさらに幅広く生かせる仕事が「コンサルティング」ではないかと考えました。そこでコンサルティング会社のプライスウォーターハウスクーパース(PWC)に転職することにしましたが、この時、私は38歳。コンサルタントというプロフェッショナルの仕事に就くには遅い年齢です。周囲からは心配する声がありましたし、入社後は相当苦労しました。リスクを冒してまでコンサルタントの仕事にチャレンジしたのは、新しいステージで、事業会社の経験を生かし、活躍したいと考えていたからです。
しかし、実際にコンサルティング会社に入ってみると、それが甘い考えだったことを痛感しました。事業会社では、自社の中で企画や戦略を立てるため、お互いを知っているという甘さがありました。たとえば、提案書の内容が論理的でなかったり、事前に十分に調査していなくても “あうんの呼吸”で許されるなど、組織の中では緩やかな部分があったように思います。しかし、コンサルティング会社では、そうはいきません。顧客からは、コンサルティングの対価をいただくわけです。当然、事業会社にあった「論理的な不整合」や「不十分な調査」などについては、許容される範囲が非常に狭くなります。事業会社の中で行っていた仕事とコンサルティング会社の仕事は、似て非なるものだとわかりました。
PWCの通信メディア事業部に配属されたのですが、その事業部は日本で立ち上がったばかりで、非常に若い組織でした。そのため、PWCのグローバルなタレントが来日し、一緒にプロジェクトを進めることが多かったのです。当時、通信の自由化が叫ばれ新規のモバイルビジネスが立ち上がっていて、幅広い知見や知的資産が期待されていましたが、私はグローバルのチームで仕事をすることで、非常に恵まれた経験を積むことができました。また、日本だけでなく、イギリスや韓国でのプロジェクトにも携わったこともあります。日本から出て、グローバルのメンバーと海外の顧客のプロジェクトに携わる機会に恵まれ、コンサルタントとしての「基盤」をつくることができたので、PWCの経験は非常に良かった。最初は非常に苦労しましたが、私にとって貴重な経験でした。