「スマート経営」を推進し、日本企業の可能性を拡げる
クラウドソーシングが生み出す、理想的な未来の働き方

ランサーズ株式会社 代表取締役社長 CEO

秋好陽介さん

秋好陽介さん

「テクノロジーで誰もが自分らしく働ける社会をつくる」というビジョンを掲げ、日本最大級のクラウドソーシング仕事依頼サイト「Lancers」を提供することで、業界を最前線でけん引してきたランサーズ株式会社。フリーランスなどの個人と企業をインターネットでつなぎ、新たな働き方を日本社会に浸透させています。代表取締役社長 CEOの秋好陽介さんに、創業時に実現しようと考えた世界観や事業展開、日本企業に感じる課題や可能性をお聞きしました。

Profile

秋好陽介(あきよし・ようすけ)/大学時代、インターネット関連のベンチャービジネスを起こす。2005年にニフティ株式会社に入社し、インターネットサービスの企画/開発を担当。その後、個人と法人のマッチングサービスを思い立ち、2008年4月に株式会社リート(現・ランサーズ株式会社)を創業。同年12月、クラウドソーシングサービス「Lancers(ランサーズ)」をリリース。その後、テクノロジーで個のエンパワーメントを実現する「オープン・タレント・プラットフォーム」の推進を掲げ、フリーランス・副業向けマッチングサービスや企業のスマート経営を推進する人材サービスを展開。2019年4月に経済同友会の規制・制度改革委員会副委員長に就任。

「人と違うことをしたい」という想いから、
インターネットビジネスを志す

学生時代に個人でインターネットビジネスを手がけられていたそうですが、具体的にどのようなものだったのでしょうか。

私がインターネットと出会ったのは2001年ごろのことです。インターネットに触れるのが楽しくて、毎日16時間くらいパソコンを触っていました。その後、好きが高じてWebサイトの受注開発の仕事を請け負うことになり、自分でも複数のサイト企画や運営に挑戦しました。

なかでもビジネスとしてうまくいったのが、全国のホテルの価格を比較できるサイトです。日本全国のホテルの料金を自分で調べ、一覧にして公開していました。このサイトはかなり人気が出て、ピーク時には私のサイト経由で月にかなりの予約を成立させたこともあります。もしあのまま続けていたら、旅行予約サイト「Expedia」のようにグローバルに展開できていたかもしれませんね(笑)。

大学卒業後、2005年にニフティ株式会社へ入社されています。どのような経緯で入社されたのでしょうか。

もともと私は、「起業したい」というより、「人と違うことをしたい」という気持ちを強く持っていました。会社員でも面白いことはできると思い、インターネット関係の企業をターゲットに就職活動を始めたんです。

当時はまだインターネット業界は黎明期で、新卒を採用している企業はほとんどなく、選択肢は限られていました。そんな中で、存在感を示していたのがニフティでした。数社から内定を得たのですが、他社では営業職やエンジニアの募集だったのに、ニフティでは企画職を募集していたんです。それが入社の決め手となりました。

入社後に担当した仕事の内容についてお聞かせください。

最初の1年間はエンジニアで、その後はインターネットサービスの企画や開発の仕事を経験しました。当時、ニフティのトップページにはかなりのアクセスがあり、私は地図サービスやニュースサイトなど、さまざまなサイトに関わりました。このときは、学生時代にインターネットビジネスをやっていた経験がすごく生きましたね。

特に印象に残っているのが、ニフティの若手三人で集まって、時系列で自分の歴史などの情報を管理できるサービスを開発したことです。私たちが自主的に動いて形にしたもので、会社の仕事はきちんとやりながら、空いた時間を使って1、2ヵ月ほどで開発しました。

サービスをローンチした後の反響も良く、何より、上場企業の名前を冠したサービスを少人数かつ短期間で形にできたので、大きな自信になりました。ランサーズも弟と二人だけで創業したのですが、ニフティ時代の経験があったからこそ、勇気をもって踏み切ることができたのだと思います。

その後、2008年4月にランサーズの前身となる株式会社リートを創業されました。クラウドソーシングを事業に選ばれた理由など、創業の経緯を教えてください。

きっかけは、ニフティ時代の経験にありました。これは大企業ならではの課題だと思うのでますが、企業から個人のフリーランスに依頼するのはかなりハードルが高かったのです。例えば、少額のWebデザインを発注するだけでも、信用性などの面から社内の稟議が通らない。一方で、名のある大企業への発注であれば、大きい予算の案件でもすんなり通ることがありました。

フリーランスに外注するには時間や手間がかかりすぎるため、あるとき私は、いつも依頼していたデザイナーの方への発注を取りやめようとしました。大きな金額の案件ではなかったので、そこまで迷惑はかからないと思ったからです。

ところが、その方に電話でそのことを伝えると、予想外の答えが返ってきました。「僕にとって人生がかかっている仕事だから、取りやめないでほしい」と言われたのです。ニフティの仕事は生活のためだけではなく、誇るべき実績でもある、と。その話を聞いて、ハッとさせられました。

このやり取りの後、私が思いついたのが、個人と企業が簡単に取引を始められるクラウドソーシングサービスでした。個人が企業から仕事を受けることが当たり前になれば、時間や場所にとらわれず仕事をすることができる。なんだか未来っぽい世界観を感じて、ワクワクしたのを覚えています。

そこで、私はニフティの新規事業としてクラウドソーシングサービスを提案したのですが、残念ながら採用には至りませんでした。でも私は絶対にニーズがあると確信していたので、弟と二人で起業することを決断しました。

当時、弟は大阪に住んでいて、今で言うフロントエンジニアのような仕事をしていました。そんな彼に私は、わらをもすがる思いで「手を貸してほしい」と頼んだのです。すると「兄貴が困っているなら」と思ってくれたようで、二人きりで起業の準備を始めました。

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