クライアントの課題解決はパートナーシップから
人の強みを引き出すAI時代のコーチング
ビジネスコーチ株式会社 代表取締役
細川 馨さん
今や人材開発の世界では、一般化しつつあるコーチング。双方向のコミュニケーションにより自発的な行動を促すその手法は、創造性が問われる現在のビジネスシーンにおいて、ますます注目を集めています。ビジネスコーチ株式会社代表取締役の細川馨さんは、保険支店長時代にコーチングの世界に魅了された一人。自身の経験から、ビジネスコーチングを日本中に広めたいと精力的に活動を続けています。一方で、「クライアントの想いに寄り添い、時に周囲とコラボレーションを図ることも、今の人材開発ビジネスには求められている」という細川さん。AI時代ならではの人材開発について、これまでのキャリアにも触れながら細川さんにお話をうかがいました。
細川 馨(ほそかわ・かおる)/ビジネスコーチ株式会社 代表取締役。北海道函館市出身。1980年、セゾン生命入社。営業本部長として、組織を率いた。2003年に独立。2005年にはビジネスコーチ株式会社を設立し、代表取締役に就任。より良い組織創りを追求し、「クライアントの成果にこだわる、唯一無二のプロフェッショナル集団」である同社を率いている。
ボロボロになるまで働く、負けず嫌いのモーレツ保険営業マン
細川さんは、どのような学生時代を過ごされていたのでしょうか。
生まれは北海道で、実家は建具店を営んでいました。お世辞にももうかってはいるとはいえず、高校を卒業したら警察官になるつもりでした。ところが私は自由を愛する人間ですから、向いていないのではないかと思い直し、大学進学を機に上京しました。
学生時代はアルバイトに明け暮れた日々でした。いろいろやりましたよ。寿司屋の出前に、土木作業員、それから道路工事の現場。いちばんつらかったのは、工場の仕事でした。製造ラインに立って、ベルトコンベアを流れてくるお菓子をひたすら袋に詰めていく。決まったことを淡々とこなすことは、私には苦痛でしかありませんでした。それでも、昔から人の喜ぶ顔を見るのが大好きで。お金を貯めては母親に送金していたんです。
保険会社に就職を決めたのは、当時、世間を席巻していたセゾングループの会社だと聞いて、「かっこいい!」と思ったから。大学ではほとんど勉強していなかったので、学科試験がないと聞いて、「ここならいけるぞ!」と手ごたえを感じていました。
敏腕営業マンだったそうですね。
入社1年目の配属は札幌でした。系列のスーパーにあるカウンターで、買い物客や従業員に保険を売る仕事です。研修もそこそこに、現場に放り出されました。70人ほどいた同期は、1年もすれば半数が辞めていくような状況でしたが、私の場合は初年度から成績が良く、新人賞をいただいた記憶があります。負けず嫌いな私には、合っている仕事でした。
入社2年目には営業成績が全国トップ5に入り、6年目には最年少で営業所長になりました。しかしプレイヤーだったころとは違い、部下に動いてもらって成果を上げなければいけないので、辛くて仕方がなかった。私は「俺も頑張るから、お前もやれ」と、自分のやり方を部下に押しつけていました。
朝早くから夜遅くまで働いて、その後は部下を引き連れて飲みに行く毎日です。売上も就任3年目には300%増になりました。ただ、4年目ともなるともう限界。退職者が絶えず、私自身も体調を崩して入院するほどにボロボロの状態でした。何人もの営業所長を部下から輩出し、目標としていた北海道営業部を立ち上げたあと、福岡への異動を命じられます。