「福祉」の枠を超え、資本主義の論理で挑む――元NHKアナがMBAを経てたどり着いた、発達障害者の就労支援事業
株式会社Kaien 代表取締役
鈴木 慶太さん

NHKアナウンサーからMBA留学を経て、発達障害者の就労支援事業を立ち上げたKaien代表の鈴木慶太さん。「福祉」の枠組みで語られがちな領域に、「資本主義の論理」を持ち込んだ異色の経営者です。現代の「ダイバーシティ推進」が陥るわなとは何か。AI時代に求められる、個人の能力を科学的に見極める「目」とは。そして、HR業界の若手ビジネスパーソンがいま心に刻むべきキャリアの重ね方とは――。幼少期の話から、創業時の知られざる「修羅場」まで、鈴木さんの深層に迫ります。
- 鈴木 慶太さん
- 株式会社Kaien 代表取締役
すずき・けいた/東京大学経済学部卒業後、NHKに入局。アナウンサーとして活躍後、退職し渡米。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院にてMBA修了。長男の診断を機に、発達障害者の強みを生かす就労支援事業に着目し、2009年に株式会社Kaienを創業。これまで1,000人以上の就労支援に現場で携わる。ニュースタイル福祉としての「ニューロダイバーシティ(脳の多様性)」を提唱し、日本精神神経学会等での登壇や専門誌への寄稿も多数。星槎大学共生科学部通信制課程特任教授も務める。著書に『フツウと違う少数派のキミへ: ニューロダイバーシティのすすめ』(合同出版)、『発達障害の子のためのハローワーク』(合同出版)、『知ってラクになる! 発達障害の悩みにこたえる本』(大和書房)など。
自分の「勝ちパターン」を探し、「本物」を追い求める
NHKのアナウンサーからMBAを取得し、起業に至った原点にある、ご自身の価値観や幼少期の経験についてお聞かせください。
振り返ってみると、私は幼い頃から「記録」と「分析」に異常なほどの執着を持つ子どもでした。小学生の頃、プロ野球は西武ライオンズの黄金時代。低学年の頃から一人で電車に乗って西武球場に通っていました。
私が他の少年と違ったのは、ただ試合を観戦して応援するのではなく、バックネット裏でひたすら「スコアブック」をつけていたこと。小学校3年生の頃には独学で書き方を覚え、ワイルドピッチとパスボールの違いを見極めて記録していました。周囲の大人から「この子は本当にわかっているのか」とのぞき込まれることもありましたが、私は打率の変動や、盗塁のタイミングなどを後から振り返り、自分なりに分析することが好きだったのです。
夏の全国高校野球の時期などは、朝の第一試合から第四試合まで、テレビやラジオにかじりついてスコアブックをつけ続けていました。ゲームや漫画にはあまり興味が持てず、データを通じて「ゲームの構造」や「勝ちパターン」を理解することに没頭していました。
データ分析への興味が、その後の進路選択にも影響したのでしょうか。
そうですね。私はあまり体が丈夫ではなく、学校も休みがちでした。だからこそ、限られた体力と時間の中で「どこで勝負すれば勝てるか」「どこにリソースを集中するか」を常に考えていました。受験勉強でも、難解な応用問題に手を出すのではなく、基礎問題を徹底的に固めて取りこぼしを防ぐ戦略をとりました。自分の能力を客観的に見極め、効率的な「勝ち筋」を見つける感覚は、今の経営判断にもつながっているかもしれません。
大学は東京大学に進みましたが、当初は文学部志望でした。しかし、周囲の「本物の文学好き」たちの熱量に圧倒され、自分はここに居場所がないと感じて経済学部へ転じたのです。そこで片平秀貴先生のマーケティングの授業に出合い、数字で消費者の心理や行動を分析する面白さにひかれました。先生から「将来MBAに行くといい」と助言をいただいたことが、後のキャリアの伏線になります。
その後、新卒でNHKに入局された理由をお聞かせください。
「本物」に近い場所に身を置きたいという思いからでした。「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代」、そしてスポーツ中継。そこには世界の一流のドキュメンタリーや、うそのないプロフェッショナルな技術がありました。質の高い情報、妥協のない制作現場にもまれることで、自分自身も「本物」に近づけるのではないかと考えたのです。
しかし、アナウンサーという職種は私には向いていませんでした。私はどうしても物事の「本質」を言いたくなってしまう。食リポで「おいしいですね」と無難に感想を述べるよりも、なぜそれがおいしいのか、あるいはおいしくないのかを分析したくなる。事実を淡々と伝えることや、場の空気を読んで当たり障りのないコメントをすることに苦痛を感じたのです。
結果として、自分のキャリアを再構築するために退職を決意。学生時代の恩師の言葉を思い出して、アメリカのケロッグ経営大学院への留学を決めました。

逆境からの「ピボット」と、創業のリアリティー
MBA留学中に起業を決意されたとうかがいました。当初はコンサルティング業界への転身を考えていたそうですが、なぜ起業を決意されたのでしょうか。
留学が決まった直後、長男に発達障害の診断が下りました。当時は正直なところ、将来への不安もあり、「お金を稼がなければならない」という思いが強まりました。コンサルタントを目指していたのもそのためです。
しかし、MBAの2年目に転機が訪れました。時間ができたこともあり、発達障害や自閉症について調べていたところ、デンマークにある「スペシャリスタナ」という会社の存在を知ったのです。同社は、自閉症の人々が持つ「高い集中力」や「細部へのこだわり」といった特性を生かし、ソフトウエアのテスト業務などで高い収益を上げていて、私は衝撃を受けました。福祉の文脈ではなく、純粋なビジネスとして、自閉症の人々の特性を「戦力」に変えていたからです。私が昔から好きだった「特性を見極めて勝ちパターンを作る」という考え方そのものでした。
その瞬間、幼い息子との散歩の記憶がフラッシュバックしたのです。ある日、息子が突然空を指さして「飛行機!」と言いました。見上げると、青空のかなたに豆粒のような白い点が一つ。私の目には全く入っていなかったものを、息子は瞬時に見つけていたのです。「視覚的な探索能力の高さ」という息子の特性と、デンマークの企業のビジネスモデルが、私の中で一本の線でつながりました。「これはただの福祉ではない、才能の活用だ」と確信した瞬間でした。
2009年の創業当時は、リーマンショックの直後でしたが、立ち上げは順調だったのでしょうか。
いえ、悲惨なスタートでした。当初はデンマークのモデルを踏襲し、自社で発達障害のある方を雇用してITサービスを提供する事業を計画していました。しかし、私はIT業界の経験もなければ、マネジメントの経験もゼロです。その上、リーマンショックの影響で企業は採用を凍結し、新しいプロジェクトにお金を出す余裕などありませんでした。
創業から3ヵ月で、このモデルは行き詰まりました。資金が底をつきかけ、生活費にも困る状況でした。人生で初めて味わう挫折でしたね。周囲からは「失敗してもコンサルに戻ればいい」と言われていましたが、ここまで何の実績も残さずに撤退するのは、プライドが許さなかった。そこで事業モデルを大きく転換(ピボット)しました。自社で雇用するのではなく、人材を育成して企業に紹介するモデル、公的な支援制度を活用した就労移行支援事業へとかじを切りました。
大きな方向転換ですね。葛藤はなかったのですか。
ものすごくありました。私の中には「発達障害は特性だ。だから障害者枠ではなく一般枠で働くべきだ」という強いこだわりがあったのです。障害者枠の人材紹介や、福祉制度を使った職業訓練にかじを切ることは、自分の理想を曲げるように感じられました。
そんなとき、ある先輩経営者から言われた言葉が胸に刺さりました。「会社を立ち上げた以上、どんな物を売ってでも会社をつぶしてはいけない」。目が覚める思いでした。自分がカッコつけて「定義」にこだわり、会社をつぶしてしまっては、就職したいと願う人たちの支援すらできません。自分の美学よりも、まずは事業を継続させ、雇用を生むことが経営者の責任だと腹をくくりました。そこで、自社雇用のIT事業という看板を下ろし、人材紹介・職業訓練へと事業モデルを転換したのです。
このときも苦労の連続でした。人材紹介業や福祉事業には許認可が必要です。制度の知識が全くない状態で、なけなしの資金をはたいて資格を取りにいきました。東京での講習が満席だったため、真冬の札幌まで飛び、講習を受けたこともあります。ベンチャーキャピタルからの出資も受けられず、自己資金だけでギリギリの運営を続けました。
苦境を乗り越え、事業を軌道に乗せられた要因は何だとお考えですか。
タイミングが良かったことです。当時、発達障害と就労支援、人材紹介を掛け合わせたビジネスを行っている競合はほとんどいませんでした。数年遅れていたら、すでに市場はレッドオーシャンになっていたでしょう。
また、私が「人が好き」で「人の分析が好き」だったことも大きいと思います。一見すると理解しがたい行動をとる発達障害の方々と接し、その背景にある脳の特性や認知のパターンを理解し、適切な環境を整えれば彼らが驚くべき能力を発揮することを発見する。そのプロセス自体が、私にとっては興味深く、面白かったのです。
単に「もうかるから」という理由だけでこの事業を始めていたら、おそらく初期の困難で心が折れていたと思います。人の深淵(しんえん)に触れ、一人ひとりの異なる「勝ち筋」を見つけることに喜びを感じられたからこそ、続けられたのだと思います。

現在の「ダイバーシティ推進」には違和感を覚える
現在、多くの企業が「ダイバーシティ&インクルージョン」や「障害者雇用」に取り組んでいます。鈴木さんはこの現状をどうご覧になっていますか。
誤解を恐れずに言えば、現在の日本の「障害者雇用」や「ダイバーシティ推進」には違和感を覚えています。特に「ダイバーシティ」という言葉が、安全地帯にいるエリート層による「上からの理想論」として語られているように感じてなりません。
現場の実態を無視して、数値目標としての「女性管理職比率」や「障害者雇用率」を達成することだけに躍起(やっき)になっている。それでは現場は疲弊し、「なぜこんな面倒なことを押し付けられるのか」という反発しか生まれません。結果として、マイノリティーの人々が本当の意味で組織に受け入れられることはなく、分断が深まるだけです。
私は、企業に対して「ダイバーシティが大事だから障害者を雇いましょう」とは一度も言ったことがありません。私が伝えているのは、「彼らは戦力になるから雇いましょう」という、シンプルな資本主義の論理です。
「戦力になる」とは、具体的にどういうことでしょうか。
資本主義とは、突き詰めれば「得意なことに特化し、それ以外を他者に任せる」という分業のシステムです。発達障害のある方々は、能力のばらつきが激しいのが特徴です。一般的な事務処理やコミュニケーションは苦手でも、特定の分野では平均的な社員をはるかにしのぐパフォーマンスを発揮することがあります。
例えば、膨大なデータの中から特定のパターンを見つけ出す能力や、論理的な整合性を緻密(ちみつ)にチェックする能力などです。これはまさに、これからのAI時代に求められるスキルと親和性が高い。企業がやるべきは、彼らを「法定雇用率を満たすための数字」として扱うことではありません。一人ひとりの特性を科学的に診断し、強みが生きるポジションに配置することです。それは特別な「配慮」ではなく、本来あるべき「マネジメント」の姿です。
現代のスポーツ界を見てください。科学的なトレーニングやデータ分析に基づき、選手一人ひとりの体質や特性に合わせた個別の指導が行われています。それによって、日本人がパワーで劣ると言われた競技でも世界で勝てるようになっている。ビジネスの世界だけが、いまだに「新卒一括採用」や「ゼネラリスト育成」という旧来のモデルに固執し、画一的な枠の中に人を押し込めようとしています。それでは「個」の力は発揮されません。
これからの人事に求められるのは、社員一人ひとりの認知特性や行動特性を詳細に把握し、パズルのピースを組み合わせるように最適な配置を行うことです。AIやセンサー技術の発達により、これまで見えなかった「人の能力」が可視化されつつあります。タイピングの速度、視線の動き、発話のパターンなどから、その人の集中状態や得意な作業環境を分析できるようになるでしょう。
テクノロジーを活用し、個人の「凸凹」を精密に把握して戦力化する。それこそが、日本企業が労働力不足を解消し、生産性を向上させるための唯一の解だと考えています。
AI時代、HRは「人間理解」のプロフェッショナルへ
今後、AIの進化によってHRの領域はどう変わっていくとお考えですか。
AIが代替するのは、定型的な業務だけではありません。最近の研究では、医師よりもAIのほうが、患者に対して「共感的な対応」をしたという結果も出ています。人間は疲れますし、常に聖人君子ではいられません。カウンセリングやメンタルヘルスの領域でも、一次的な対応はAIが担うようになるでしょう。
人間に残されるのは「AIにはできない、より深い人間理解と意思決定」です。例えば、AIがはじき出したアセスメント結果に基づき、その人のキャリア形成をどう支援するか、組織全体の文化をどう醸成するかといった、高度な判断が求められます。
当社でも、AIやテクノロジーを活用した支援ツールの開発を進めていますが、最終的に重要になるのは「人を見る目」です。精神医学や心理学の知見、遺伝子レベルでの特性分析など、より科学的なアプローチがHRには求められるようになるはずです。
今後の貴社の展望をお聞かせください。
私たちは「上場」をゴールにしていません。外部の株主の論理に左右されず、自分たちが信じる「本物」のサービスを追求し続けたいからです。ただ、事業の継続性と社会的インパクトを考えれば、将来的には経営を次世代に譲り、より大きな資本の論理の中で展開していくことも否定はしません。
これからの日本は、人口減少と少子高齢化が加速します。地方では福祉や医療の維持が困難になり、「福祉移住」とも呼べる都市部への人口移動が起きるでしょう。そうした社会変化の中で、発達障害のある方々を含め、生きづらさを抱える人々が安心して働き、暮らせるインフラをどう構築するか。就労支援だけでなく、住まいやコミュニティーの形成も含めた包括的な支援が必要になると考えています。
人生100年時代、若い頃の遅れは「誤差」でしかない
最後に、HRソリューション業界で働く若い世代に向けて、メッセージをお願いします。
私は20代の頃、迷いの中にいました。NHKを辞めて留学し、起業しても最初はうまくいかず、試行錯誤の連続でした。そんな経験から言えるのは、「焦る必要はない」ということです。これからの時代、人生は100年続き、私たちは70歳、80歳まで働くことになるでしょう。20代、30代での数年の遅れや、同期との差など、キャリア全体から見れば誤差のようなものです。今、思うような結果が出ていなくても、自分を卑下する必要はありません。
むしろ大切なのは、長く健康で働き続けるために、常に新しいことを学び、「老け込まない」ことです。好奇心を持ち続け、時代の変化に合わせて自分をアップデートし続けることが、長いキャリアを支える土台になります。
また、若いうちにやっておくべきなのは、「優秀な人」に会うことです。できれば、自分よりはるかに優秀な人と一緒に働く機会を作ってください。私にとって、Kaienの共同創業者はまさにそういう存在でした。彼は物事を俯瞰(ふかん)して見る視座の高さや、ゲームの構造自体を読み解く力、人間の感情の機微を捉える繊細さを持っていました。「こういう場面では、プレーヤーたちはこういう心理になるから、ここが勝ち筋になる」といった思考のプロセスを、私は彼と働く中で学びました。
そしてもう一つ、「外を見る」ことですね。HRソリューション業界は、国内の労働法制や慣習に閉じこもりがちです。しかし、イノベーションの多くは外部からもたらされます。あるコンサルティングファームのリポートによれば、業界内のイノベーションの7割は「他業界のベストプラクティス」の移植だそうです。
私も毎朝、海外のポッドキャストを聞き、英語で情報をインプットしています。世界のHRトレンドはどうなっているのか、異業種ではどんなマネジメントが行われているのか。そうした「外の世界」の知恵を、自分たちの業界にどう応用できるかを常に考えています。
Kaienの事業モデルも、元々はデンマークの会社の模倣から始まりました。「まねる」ことは恥ずかしいことではありません。むしろ、優れたモデルを柔軟に取り入れ、自分たちの文脈に合わせてカスタマイズすることこそが、ビジネスにおける創造性だと私は思います。
焦らず、優秀な人と働き、外の世界にアンテナを張り続ける。そうすれば、いつか必ず自分だけの「勝ち筋」が見えてくるはずです。HRという仕事は、人の人生に深く関わり、社会のあり方を変える力を持っています。その面白さを、ぜひ長いスパンで味わってほしいですね。

(取材:2025年12月18日)
| 社名 | 株式会社Kaien |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都新宿区西新宿6-2-3 新宿アイランドアネックス2階 |
| 事業内容 | 1. 企業向け(人材紹介、人事コンサルティングblank_blue)/2. 大人向け(就労移行支援事業blank_blue、自立訓練(生活訓練)事業blank_blue、学生向け「ガクプロ」blank_blue)/3. 子ども向け(オンライン療育・放課後等デイサービス「ティーンズ」blank_blue)/4. その他 (相談支援事業blank_blue、啓発事業など) |
| 設立 | 2009年9月 |
