一人ひとりに向き合うメンタルケアで
「はたらくをよくする®」
創業22年目の今、働く人にとって一番頼れる存在へ
ピースマインド株式会社 代表取締役社長
荻原英人さん
事業者に従業員のストレスチェックを義務づける改正労働安全衛生法が施行されたのが2015年。それ以来、心の健康も含めた「健康経営」への関心が高まっています。こうした近年の動きに先行すること約22年。従業員のメンタルヘルスサポートが日本企業に根づく以前から、心の問題を専門家に気軽に相談できるサービス・EAP(Employee Assistance Program)に取り組んできたのがピースマインド株式会社です。創業した90年代後半は不況の真っただ中で、自殺者も急増していました。働く人の心を支えたいという思いで事業を立ち上げた現代表取締役社長・荻原英人さんは、いわゆる社会起業家の先駆者でもあります。学生時代の関心や、ピースマインドの設立、歩み、さらには今日の日本企業で働く人びとの心の課題について、この分野のパイオニアともいえる荻原さんにじっくり語っていただきました。
荻原英人(おぎわら・ひでと)/国際基督教大学(ICU)教養学部国際関係学科卒。国際EAP協会認定 国際EAPコンサルタント(CEAP)、産業カウンセラー。大学在学中の1998年に、メンタルヘルスサービスのピースマインド創業。2018年より現職。日本・アジアにおけるEAP(従業員支援プログラム)サービスのパイオニアとして約1000社の国内外の企業をサポート。「はたらくをよくする®」事業を通じて、人と組織の成長を支援している。Forbes JAPANが選ぶ「日本のインパクト・アントレプレナー35」選出。著書『レジリエンス ビルディング――「変化に強い」人と組織のつくり方』他。
MLBエージェントとの出会いから生まれたメンタルケアサービス
大学在学中にピースマインドの前身となる会社を立ち上げられています。学生時代から起業やビジネスへの関心が強かったのでしょうか。
どうしても起業したいという意識はなかったですね。私がずっと関心を持っていたのは「日本について」だった気がします。世界から日本はどう見えているのだろう、日本人とは何だろう、日本の社会には何が必要なのだろう、といったことに興味がありました。
こうした関心を持ったのは、私がロンドンで生まれたことも関係しているのかもしれません。1歳前後で帰国したので当時の記憶はありませんが、自分が海外で生まれたことはずっと意識していました。父は仕事の関係でたびたび海外出張に出かけていましたし、母方の叔母は今もスイスに住んでいます。そんな環境もあって、世界における日本の立ち位置、日本のために自分ができることについて、よく考えていましたね。その延長で国際的な視点を得る勉強ができそうな国際基督教大学(ICU)の国際関係学科に進学しました。
もう一つ大きいのは、双子の兄弟・国啓の存在です。他に兄弟はいなかったので、小さいころは何をするのも弟と一緒でした。両親は平等に接してくれて、比較された記憶も全くありません。ただ、自分にそっくりな人がいつも身近にいたことで、小さい頃から「自分って何だろう」というアイデンティティにはとても敏感でした。
そういった背景があって、他人とは違う選択や行動をしたい、ユニークでありたい、という気持ちが常にありました。「有名大学に入って有名な会社に就職する」生き方に疑問を持ってICUを選んだところもあります。
とはいえ、大学に入ったころは、漠然と「他人とは違う、自分独自の何かをやってみたい」と考えているだけでした。弟もそれは同じで、一緒に音楽イベントを企画したり、就活の時期に合わせて学生とベンチャー企業をマッチングするサービスを主催したりしていました。その当時から、弟は起業やビジネスへの関心が強かったと思います。一方、私は「日本の社会に必要なものは何か」とか「自分だからこそできることは何だろう」といったことを考え続けていました。
弟・国啓さんと共同で、現在のピースマインドへと発展する事業をスタートさせたのが1998年。どんな経緯でこのビジネスを発想されたのでしょう。
弟とは「大学を卒業するまでに継続的に取り組める事業をつくる」という目標を立てていたので、先輩経営者や、ネットワーキングの場で出会った人に話を聞いて、事業内容を模索する日々でした。
そんなとき、たまたま知り合ったのが、現在も弊社のアドバイザーとして関わってくれている佐藤隆俊さんです。我々よりも一回り年上で、アメリカでMLB(メジャーリーグベースボール)選手会公認エージェントとして、野茂英雄さんのLAドジャースでの活躍などをサポートした経歴の持ち主です。佐藤さんから聞いたのが「メジャーリーガーのメンタルトレーニング」というエピソードでした。
あるチームに、能力が全く同等の二人の新人選手が入ってきました。しかし、一人はメジャーで順調に結果を出していったのに対して、もう一人は故障でもないのにマイナーでくすぶっていたそうです。両者の差を関係者に聞いてみると、成功している選手は個人でセラピストと契約してメンタルのコンディションを常にベストに保っていました。逆に言えば、たったそれだけだったのです。
今でこそ臨床心理士がスポーツチームに帯同することも珍しくありませんが、当時日本ではそんな話は聞いたこともありませんでした。私自身、そもそもカウンセリングが何なのかもよくわかっていませんでした。
正直に言うと、MLBの選手はとにかくパワーが強いだけというイメージでした。なので、メンタルトレーニングのような科学的な手法が当たり前のように取り入れられていることが意外でした。同時に、日本が遅れを取っていることを悔しく思いました。
また、当時の日本はバブル崩壊に続く金融危機で不景気そのもの。大企業のリストラが相次ぎ、自殺者が激増していました。経済大国として繁栄していたのに、今やメンタル面で多くの人が病んでしまっている。これは幸せな社会じゃないな、という思いがありました。メンタル、心を支える仕事こそ、今の日本が必要としているものなのではないかとひらめいたのです。
その思いが現在のピースマインドにつながっているわけですね。
はい。ただ、当時は心の不調は誰にでもあるものだ、という認識は低かった。心の悩みを相談することも一般的ではなく、メンタルクリニックは心を病んだ人が行く場所だと思われていました。サービスを働く人々に利用してもらうには、まずイメージを変えていく必要があったのです。
そこで、その頃に普及し始めたインターネットを活用することにしました。相談者がネット経由で気軽にアクセスし、個々の悩みを解消できるサービス。言い換えれば、社会的なインフラとしてのメンタルヘルスサービスを作りたいと思ったのです。現在の社名「ピースマインド」は、そのときに打ち出したサービス名でした。