自己成長の気持ちが原動力に
グループで提供していきたい「SELFing」という考え方

ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長

佐藤朋也さん

佐藤朋也さん(ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長)

労働力人口の減少に直面する現代の日本社会。一人ひとりの能力を引き出し、より大きな価値を生み出す「教育」の重要性がますます高まっています。ヒューマングループは、1985年の創業以来、「ヒューマンアカデミー」に代表されるスクール運営によって多くの人材を輩出し、同時に人々に活躍の場を提供する幅広い事業も積極的に展開してきました。2002年以降、同グループの経営を担ってきたのが、ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長の佐藤朋也さん。佐藤さんに、教育ビジネスに関わることになった経緯や株式上場までの道のり、外部環境の変化で生じた危機の克服、また、人材やキャリアに悩む多くの企業や人びとの解決の糸口、ヒューマングループのバリュープロミスである「SELFing」などについて詳しくうかがいました。

プロフィール
佐藤朋也さん
ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長

さとう・ともなり/大学卒業後、日興証券株式会社(現 SMBC日興証券)に入社。本郷会計士事務所(現 辻・本郷税理士法人)を経て、1991年11月ザ・ヒューマン株式会社に入社。ヒューマングループ各社の取締役を歴任し2002年、ヒューマンホールディングス株式会社を設立し、代表取締役社長に就任(現任)。

自分を厳しく鍛えられそうな会社を選んだ

これまでのキャリアから伺います。学生時代はどのように過ごしていたのでしょうか。

大学は商学部で、専攻はマーケティングでした。のちに慶應義塾大学ビジネススクールの校長も務められた池尾恭一先生のゼミです。ハーバードビジネススクールのメソッドのケーススタディーを使った授業が非常におもしろかったことが印象に残っていますね。池尾先生には、現在ヒューマンアカデミーのウェールズ大学MBAコースの講師をお願いしており、ずいぶん長くお世話になっています。

勉強以上に力を入れていたのは、フルコンタクト空手や外国人観光客をサポートする英語ガイドなどのサークル活動でした。4年生のときには国会議員秘書のアルバイトも。たまたまその年に衆参同日選挙があるなど、貴重な経験ができた学生生活だったと思います。

貴社は1985年に佐藤社長のお父様が創業しています。当時から、将来会社を継ぐ可能性は考えていたのでしょうか。

創業者である父(佐藤耕一)が独立して会社をつくったのは、私が大学2年のときです。経営者の家庭で育ったわけでもないので、自分が会社を継ぐという発想はまったくありませんでした。むしろ、早く親離れしてひとり立ちしたいと考えていました。

最初は日興証券(現SMBC日興証券)に入社しています。証券業界を選んだ理由をお聞かせください。

就職活動では、自分を厳しく鍛えて成長させてくれそうな会社を探しました。「証券会社なら広く社会や経済のことを勉強できそうだ」という理由で選びました。将来自分が起業するための実力をつけてからやりたい仕事を見つけようと思っていました。

日興証券ではどのような業務を経験したのでしょうか。

配属先は東京の中野支店で、職種は営業でした。新人はまず、地域の中堅企業オーナーを対象に資産運用を提案するのですが、簡単な仕事ではなかったですね。社長はみなさん忙しく、訪問してもまず会えません。受付にはライバルの証券会社の名刺が何十枚もたまっています。その中で厳しい目標数字をクリアするにはどうすればいいのか。それを考えるところからスタートしました。

ありがたかったのは、中野支店がわりと自由にやらせてくれる拠点だったこと。自分なりにいろいろな営業方法を考えて、試していきました。そのひとつが「早朝営業」です。オーナー社長は、夜の帰宅の時間は不規則でも、毎朝自宅を出られる時間は決まっていて、その時間帯に行くと会える確率が高いのです。

ただ、当然ですが、早朝営業をすると、支店で行われている朝礼には出られません。最初は「若手のくせになぜ朝礼に出ないのか」と何度も注意されました。それでも、毎月数千万円、時には1億円前後の投信を買ってくれる大口顧客を獲得し、上位の成績を出せるようになると何も言われなくなりました。

ライバルが多い市場では他と同じことをやっていても勝つことはできません。「何か違うやり方はないか」と考え、仮説を立て、実践して、検証する。これはまさにマーケティングの手法です。このようなやり方がおもしろいと感じた最初の経験だったと思います。

佐藤朋也さん(ヒューマンホールディングス株式会社)インタビューの様子

営業が好調だったときに、貴社の前身であるザ・ヒューマン株式会社に関わることになります。当時の状況を教えてください。

ある日、営業先から支店に戻ると、同期の女性社員に「お父さんが来ているよ」と言われました。そっと支店長室を覗くと、父が支店長と話し込んでいます。私を退職させて自分の会社を手伝わせたいと申し入れに来ていたのです。事前には何の相談もされていません。最初は「何をしてくれるんだ」と、とにかく腹が立ちました。

ただ、それから話を重ねるうちに少しずつ考え方が変わっていきました。そもそも日興証券に入ったのも起業するための勉強のつもりでした。その頃のヒューマンはまだ発展途上のベンチャー企業でしたから、「起業するためには、ベンチャーで勉強するのもひとつの方法かもしれない」と考えたのです。

また、父は営業に関してはすごい実績の持ち主でした。創業前に在籍した企業では営業担当役員を務めていたことがあり、ヒューマン自体もそれまでの教育ビジネスになかった革新的な営業手法を導入して急成長。その営業ノウハウを間近で見てみたいという思いもありました。

そんなザ・ヒューマン株式会社に入社される前に、もうワンクッションあったとうかがいました。

証券会社で営業をやっていたので、ヒューマンでもそのまま営業を担当するつもりでいたら、「管理部門を見てほしい」と言われました。さらに、会計や財務の知識を身につけるため、まずは会計事務所で修行するようにと。最初は釈然としませんでしたが、ここでも「将来起業するには会計の知識もあった方がいい」と考え直しました。

転職した会計事務所には2年弱勤務しました。最初は公認会計士チームに所属しましたが、バランスシートが正しいかどうかを確認するため、終日倉庫で在庫を数えるような単調な仕事ばかりで、このままでは成長の機会が失われるという強い危機感のもと、会計や財務だけではなく幅広い知識を身に付けるべく、不動産チームへの異動を申し出ました。

不動産チームでは、当時まだ目新しかったカラオケボックスの立ち上げを任されました。担当したのは、事業計画から店舗開発、運営管理まで全部。まさにマーケティングの実践です。事業が軌道に乗りはじめたところで退職することにはなりましたが、想定をはるかに上回るスピードで投資を回収することができました。いわば事業立ち上げを通じて財務や会計を学んだことになります。いま振り返ると、大変良い経験でした。

急成長ベンチャーにありがちな問題が山積

1991年にザ・ヒューマン株式会社に入社されましたが、当初はどんな仕事を担当していたのでしょうか。

最初に命じられたのは、東京での管理部門の立ち上げです。当時の本拠地だった大阪は、父をはじめとする創業メンバーがしっかりと管理していました。一方、よりマーケットが大きく急成長していた東京は十分に目が届かず、本社の統制がきかない状態になっていました。そこで管理の責任者として私が送り込まれたのです。

実際に東京へ来てみると、大変な状況でした。もともとヒューマンは営業優位の会社です。本社の管理部門も営業部門のいいなりになっているような状況。まずはその風土を正すところからはじめました。しかし、当時の私はまだ20代。親ほども年齢が違うベテランの営業担当役員などと対峙(たいじ)しながら、ひとつずつ問題を是正していく作業は本当に厳しいものでした。

ゼロからというより、むしろマイナスからのスタートだったわけですね。

管理体制を作っていくという意味ではその通りです。さらに、同時並行で会社の会計処理を全面的に刷新する作業にも取り組みました。

一般的な教育ビジネスでは、役務提供基準といって、授業を行うごとに売上を立て、そこから収益に対して税金を計算します。ところが当社では、創業時から前払いの授業料が納付された時点で全額売上に計上していました。これでは税金を先払いすることになってしまい、資金繰りを圧迫します。そこで、今までのやり方を是正することにしました。一気にやると債務超過になってしまうので、事業を細分化して徐々に進めていきましたが、完了するまでに5年ほどかかりました。

2002年に代表取締役社長に就任され、2004年には株式上場も実現されています。そこから今日までを振り返って印象に残っていることなどはありますか。

会社の組織や制度がしっかりしてからは、ビジネスも順調に伸ばせたと思っています。ただ、外部環境の変化による危機は何度かありました。最初は2006~2007年にかけての社会人教育事業の落ち込み。もともと、この事業は職業訓練給付金制度を追い風に伸びていました。それが大幅に絞られたことで、当社だけでなく多くのスクールが経営危機に陥りました。また、併せて同時期に固定資産の減損会計制度がはじまり、当社の経営も深刻な状況に追い込まれました。

幸いヒューマンにはいろいろな事業があったので倒産はまぬがれましたが、連結でも2期連続の赤字となりました。そのため、苦渋の決断でリストラに踏み切らざるをえませんでした。ただし、スクールには通ってくれている生徒さんがいますから、何でも縮小すればいいわけではありません。毎週幹部を集めてどこのコストを削れるのかを徹底的に話し合い、黒字に戻すまでに3年かかりました。

ようやく安定したと思ったころ、今度は人材ビジネスが大きく揺らぎます。これは2009年の政権交代が発端でした。人材事業は労働者派遣法で規制されています。それまでは規制緩和の流れを受けて大きく伸びていたのですが、政権交代で一気に流れが変わります。当社は調査対象となり、業務改善命令が出されたのです。当時540億円あった売上が1年で半減しました。このときも結果的にリストラが避けられませんでした。経営者としてはとにかくつらい決断でした。

2000年代に経験したこれらの危機で、事業自体は順調でも、法令など外部環境の変化によって企業は一気に危うくなることがわかりました。外部要因に対するリスク管理も含めて、常に経営の質を上げていく必要があることを痛感しました。

他ではなかなかできない経験ですが、危機を乗り切るための知識などはどのように得てきたのでしょうか。

会計事務所時代に身につけた知識が土台になっているのは、間違いないと思います。あとは実務書などを読んでの独学です。書店に立ち寄っては、今取り組んでいる仕事に役に立ちそうな本を買って、仕事をしながら読み込む毎日でした。大変でしたが、将来必ず自分のためになると、自身に言い聞かせながらやっていました。

“なりたい自分”を見つけ、そこへのルートを設計する

ここからは現在の貴社についてお聞かせください。「教育を中心に各事業とのシナジーを意識したビジネスモデル」を打ち出しています。どのような考え方なのでしょうか。

現在、ヒューマングループでは、人材ビジネスの売上が最大です。ただ、その人材ビジネスを支えているのは「教育」です。人材以外にも介護、美容、IT、スポーツなどの事業があり、いずれも教育とのシナジーで成り立っています。これが教育だけ、あるいは人材やその他のビジネスだけをやっている企業との大きな違いです。

当社は教育事業からスタートしましたが、創業時から「授業を提供しただけでは生徒さんへの責任を果たしたことにはならない」「就職まで見届けてはじめて完結するのだ」という思いがありました。学んだことを生かして活躍してもらうまでが教育の責任です。そこでスクール事業をはじめてすぐに人材事業がスタートしました。

逆のパターンもあります。当社が保育事業の会社を買収した際は、そこで働く保育士を育成するために保育講座を立ち上げました。ITなども仕事に対して人材が不足している分野です。いずれも教育と事業のシナジーで人々の活躍の場を広げてきました。

教育は個人向けだけではありません。法人向けのリスキリングをお手伝いする講座も多数運営しています。今では行政も職業訓練の補助などを通してリスキリングに注力しているので、そこにもマーケットが広がっています。また、IT分野では国内だけでなく海外の人材にも目を向け、日本語を学び、日本で働いてもらう仕組みも作っています。教育で人材の価値をあげ、その力をビジネスで発揮してもらう。これが「教育を中心に各事業とのシナジーを意識したビジネスモデル」です。

佐藤朋也さん(ヒューマンホールディングス株式会社)インタビューの様子

貴社が掲げるもうひとつのテーマである「SELFing」についてお聞かせください。

当社は、「SELFing」をすべてのステークホルダーに提供する価値、“バリュープロミス”と位置づけています。「SELFing」を一言で表せば、「“なりたい自分”になること」。自分らしく生きるには、「どうなりたいか」が明確であることが必要です。どうなりたいかがわかったら、次はそこに至るプロセスを設計します。私たちはそれに徹底的に寄り添い、目標を実現するためにサポートしていきます。漠然と教育を提供するのでなく、「何のために学ぶのか」を明らかにし、「目標へのもっとも効率的な道のりを一緒に描いていこう」というのが「SELFing」の考え方です。

具体的にはどのようなプロセスで提供されているのでしょうか。

まず、“なりたい自分”を明確にする自己分析ツールを用意しています。“なりたい自分”を見つけ、次にプロセス設計をします。ここではメジャーリーガーの大谷翔平選手で有名になった「マンダラチャート」をもとに開発した「SELFingシート」を活用。九つの象限の真ん中に目標を記して、その周囲に「どうすれば目標を実現できるか」を考えて記入していくものです。大谷選手のシートは本当にすばらしく、ニュースなどでも広く紹介されました。多くの人が知っているので、説明するととても興味を持って取り組んでもらえます。今では多くの企業がリスキリングの講座などを提供していますが、根本は「どうなりたいか」。当社はその部分にもっとも注力していきたいと考えています。

「教育」で労働人口減少という課題を解決

現在の日本企業の「人と組織」「人事」に関する現状や課題については、どのように捉えていますか。

最も大きな課題は労働力人口の減少で、多くの企業が苦しんでいます。解決策としてよく語られるのは外国人活用、シニア活用ですが、うまくいくには条件があります。それは「教育」です。「外国人はいるが日本語がわからない」「シニアはいるが古い知識しか持ってない」という状況では、戦力にならないからです。そこを補うのが教育です。

企業からも当社とプロジェクトを組んでやっていきたい、と提案をもらうことがあります。ある海外のCADメーカーからは、「日本での製品普及をめざしたいが、使いこなせる人材がまだ少ない」という相談がありました。当社は北海道から沖縄までスクールを持っているので、CADオペレータの教育を受け持つエデュケーションパートナーになってもらえないかというものです。こうした案件は他にもいろいろと出てきています。多くの企業が、これからの事業展開のカギは教育だということを意識しはじめているのだと思います。

リスキリングへの注目が高まるなど、教育業界にとっては追い風の時代です。業界全体では、このビジネスチャンスにあわせてどのような動きが出てきているのでしょうか。

当社はこれまでも人材育成と事業運営をセットにして取り組んできました。たとえばホームヘルパー講座で人材を育てながら、同時に介護事業で資格を持った人たちに活躍の場を提供する。今後は他の事業でも、そういった動きが増えてくるかもしれません。もうひとつはRPAなどのIT技術を使って、人手をかけずに業務を効率化するサービスを提供すること。当社でもかなり力を入れている分野です。

貴社がこれから手がけていきたいこと、方向性などについてお聞かせください。

「SELFing」の支援は今後もっとも注力していきたい分野です。キャリア自律だけでなく、多様な働き方の実現にも使えるからです。現在、地方銀行と一緒に進めているプロジェクトでは、地方で確保が難しい高度人材を「テレワークを前提に採用しよう」という提案を行っています。その逆も可能で、たとえばマリンスポーツが好きな人が沖縄に住みながら、リモートで東京の仕事をするといった働き方の実現にも「SELFing」が役立つはずです。

当社の情報システム部にも、新潟で暮らしながらリモートで東京の仕事をしている人がいます。郷土愛が強く、米作りや酒蔵などの地域振興に関心が高く、同時にITの仕事も続けたいということでそのような勤務体系になりました。「自分がどうなりたいか」を明確にする「SELFing」が、働き方の決め手になったわけです。

「SELFing」でマッチングの可能性を広げる取り組みは国内にとどまりません。インドのITエンジニアに来日して仕事をしてもらう、フランスで漫画家を育成する、といったプロジェクトもすでにスタートしています。

人材サービス、HRソリューションの業界で働く若い方に、ビジネスで成功するためのアドバイスやメッセージをお願いします。

私自身が仕事をする上で常に意識してきたのは「自己成長」。その仕事によって少しでも成長したいという思いです。「SELFing」の考え方で説明するなら、自分で事業を起こしたいという気持ちが常にあったので、厳しいときも頑張ることができたのだと思います。

結局、大事なのは「自分がどうなりたいか」ということです。それが決まったら、そこに至るプロセスを設計して徹底的にやる。目標が変化したら、変化に応じてプロセスも設計しなおす。目標自体は変わってもかまいません。大谷選手も高校生の頃の目標と今の目標では違っているはずです。誰でも進化していくのだから、それで良いのです。私も当初は自分で起業しようと思っていましたが、親のつくった会社に入ることになりました。そうなったら状況に応じて新しい目標を定め、新しい設計図を描いてすぐに取りかかる。それがいちばん大切だと思います。

佐藤朋也さん(ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長)

(取材:2023年8月3日)

社名ヒューマンホールディングス株式会社
本社所在地〒160-0023 東京都新宿区西新宿7-5-25 西新宿プライムスクエア1F
事業内容グループ全体の戦略的意思決定、子会社の管理および経営指導、事務管理受託業務。
設立2002年8月

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「人事辞典「HRペディア」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。

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