課題解決型の人材派遣とシェアリング型のアウトソーシングサービスで急成長
近年は障がい者雇用支援など、
社会課題を解決するソーシャルビジネスを展開
株式会社エスプール 代表取締役会長兼社長
浦上壮平さん
企業の課題解決に主眼をおいたグループ型の人材派遣サービスと、シェアリング型のアウトソーシングサービスを主力事業として展開するエスプール。1999年の創業当時は、社会問題となっていた大卒フリーターを支援するため、彼らにトレーニングを施した上で、チームで企業に派遣し、明確な成果を出すサービスを立ち上げるなど、企業と働く人双方にWin-Winの関係をつくり出してきました。こうした、ほかの人材サービス会社と差別化した事業モデルは創業時から注目を集め、2006年には大証ヘラクレス(現JASDAQ)市場に上場。近年は障がい者雇用支援サービスをはじめ、シニアの顧問派遣サービス、主婦を活用したマーチャンダイジングサービスなど、潜在労働力の活用に着目した事業も展開しています。常に時代の先を読みながら、新たな人材サービスに注力する同社。創業者であり、現在も代表取締役会長兼社長を務める浦上壮平さんに、創業時の苦労話なども含めたエスプールの事業内容・サービスの展開と、これからの人材サービス業界をめぐる課題と展望についてお話をうかがいました。
- 浦上壮平さん
- 株式会社エスプール 代表取締役会長兼社長
うらかみ・そうへい/1966年兵庫県生まれ、芝浦工業大学卒業。日本情報サービス、ファコムジャパン、タートルジャパンなどを経て、1999年にエスプールを設立、代表取締役会長兼社長に就任する。「就業の機会の少ない人たちに教育を施して戦力化し、企業の求める課題に当たらせ、成果を出す」という創業時からの独自の事業モデルに対する考えは揺るぎなく、同社の成長の大きな支柱となっている。その後、2006年には大証ヘラクレス(現東証JASDAQ)市場に上場を果たした。「アウトソーシングの力で企業変革を支援し、社会課題を解決する」をミッションに掲げ、「社会問題や付随する企業課題を、新たなビジネスで解決していく」ことを一貫して続けている。
社会問題化していたフリーターの就労支援を事業の柱として創業
浦上さんは大学在籍時からいくつかの会社を経験された後、家庭教師センターに勤めていた際にエスプールの事業を発案されたそうですね。
1995年から家庭教師センターで働いていましたが、その頃は「就職氷河期」と言われ、大学生の就職が大変な状況でした。家庭教師センターの卒業生の中にも、就職できなくて困っている若者が大勢いました。日本の雇用システムでは、一度就職浪人をすると正社員としての就職は非常に難しいので、何とか皆の就職先を探そう、と考えました。それが実現できれば「家庭教師センターは就職先まで面倒を見てくれる」と評判が広まり、学生のリクルーティングにも役立ちます。そこで、就職難で困窮している学生を支援する事業部を作り、インターンシップに似た事業を立ち上げるために設立したのがエスプールです。当時、社会問題化していたフリーターの就労支援を目的として、スタートしました。
事業は順調なスタートを切り、企業からの依頼が増えるに従って、スピーディーに対応する必要性が高まり、当時サービスが始まった携帯電話の「iモード」の活用に着目しました。これまで電話で行っていたやりとりを、携帯電話のWeb上で全て行えるようにしました。この仕組みができたことで業務効率が飛躍的に上がり、会社として大きく成長することができました。
携帯電話を活用した新しい働き方として、当社の事業モデルがメディアで大きく紹介されるようになったのも、その頃でした。当社を知ったベンチャーキャピタルから出資オファーが殺到し、設立2年目で6億円を調達することができました。当時、私は33歳の若輩経営者でした。
6億円の資金をベンチャーキャピタルから調達した以上、株式上場を通じて出資者の期待に応える必要があります。会社を安定的に成長させるために、収益が不安定な就職支援から、携帯電話を活用した短期の人材派遣に事業転換を図りました。このビジネスモデルは、時流に乗り右肩上がりで事業が拡大しました。設立3年目の2001年には、売上が15億円となり、その後も20億円、30億円、40億円ととんとん拍子に伸びていき、2006年には大証ヘラクレス市場に上場することになります。
「失われた20年」と言われた時代にあって、会社が順調に伸びていったわけですね。
当時、いろいろな先輩経営者からアドバイスをもらいましたが、よく言われたのが「選択と集中」でした。余裕資金ができたからといって、ほかの業態や余計な事業に手を出さないよう、強く戒められました。私も本業に特化すれば会社はうまくいくと考え、人材派遣サービスに専念し、その後、売上も60億円、70億円と増やしていくことができました。その時には売上の9割以上を人材派遣サービスに依存していました。
成長の過程にあった2008年には、キャッシュが約15億円まで積み上がりました。この資金を生かして、人材派遣サービスの事業領域をさらに広げようと、約4億円で技術者派遣の会社を買収しました。買収した会社は、売上が約20億円、営業利益が1億5,000万円程度でしたので、3~4年で十分回収できると見込んでいました。しかし、買収した翌月に「リーマンショック」が起きました。技術者派遣は、常用雇用した社員を企業に派遣する「特定型派遣」が中心で、景気が悪化していくに従って、派遣先企業の開発プロジェクトが次々と中止になり、半年から1年間くらいの間に、ほとんどの技術者が派遣先から戻ってきてしまいました。
その会社では約300人の技術者を雇用していましたが、業績が悪化したからといって、会社の財産である技術者を手放してしまったら復活することができません。そこで、自社システムの開発に携わってもらうなどして、何とか雇用を維持し続けましたが、売上は回復せず毎月大きな赤字が出ました。経営の底は打ったという子会社経営陣の言葉を信じて辛抱していましたが、その1年後には、累計で10億円もの赤字を出す最悪の事態となりました。そこでやむなく経営陣を解任し、私が自ら社長となり、立て直しを図ることにしました。
子会社の大赤字をきっかけにして、エスプールグループも債務超過に陥りました。1年以内に債務超過が解消できないと上場廃止になってしまいます。そこから強い危機感の下、経営再建に取り組みました。結果的には自力で黒字化し、増資など外部の力を借りることなく1年間で債務超過を脱することができました。
エスプール創業以来、最大の危機に直面したわけですね。
ここで、経営に対する考え方を大きく改めました。これまで「事業の選択と集中」という考えの下、人材派遣サービスに専念して会社を大きく伸ばすことができましたが、リーマンショックという外部環境の変化に対処することができませんでした。一つの事業に偏りすぎていたため、一気に経営が崩れてしまったのです。何とか経営の立て直しはできましたが、同じことをしていては、次はわかりません。
そこで「選択と集中の経営」を改め、「ポートフォリオ経営」に取り組むことを決断しました。いかなる環境変化があっても、それぞれの事業が支えあう「多角化経営」への転換です。またその時にもう一つ決めたことが、創業の原点に立ち返り、本当に社会に役に立つ事業に取り組んでいくこと。「社会や企業の課題を解決する」「就労弱者を支援する」「エスプールが存在しないと皆が困る」といったサービスを提供していかないと、我々の存在価値がないと考えたからです。社会の役に立つ事業に取り組み、そこを追求することによって必ず利益は出ると確信し、多角化経営への転換を図りました。