「選択理論」を世の中に広め、
世界最高峰の人材教育コンサルティング会社へ

アチーブメント株式会社

青木仁志さん

青木仁志さん

アチーブメントは、人材教育コンサルティング事業を基軸に、「選択理論心理学(*)」をベースとする高品質の人材教育を通じて、より良い人間関係を築くための研修プログラムや、個人と組織の目標達成のコンサルティングサービスを展開しています。中でも、社会人向けの「戦略的目標達成プログラム『頂点への道』講座」は、24年間継続して提供している同社の主要プログラムで、これまで約3万人以上の顧客に対して、事業の拡大、生産性、収益の向上、人間関係の改善という形で、目的・目標達成へと導いてきた実績があります。アチーブメントの創業者である代表取締役社長・青木仁志さんに、これまでのご自身のキャリアを振り返ってもらうと共に、同社の事業の特徴や人材育成に対する考え、今後の展開などについて、詳しいお話を伺いました。

Profile
青木仁志さん
アチーブメント株式会社 代表取締役社長

あおき・さとし/1955年3月北海道函館市生まれ。1987年、選択理論心理学を基礎理論とした人材教育コンサルティング会社「アチーブメント株式会社」を設立、代表取締役社長に就任。創業スタッフ5名でスタートした会社は、グループ子会社3社を含めて、現在では160名体制へ。全日本F3選手権のシリーズメインパートナーとしての若手ドライバー育成を行うなど、活動の幅を広げており、グループ会社としてアチーブメント出版、アチーブメントダイニング、アチーブメントプロデュースの3社を設立し、教育に軸足を置きながら、目標達成・自己実現を支援する事業を展開。同社は、2013年2月に日本経済新聞にて掲載された就職希望企業ランキングで総合93位、情報、広告、レジャー、ソフトウェア、教育などを含む「サービス業・その他」として13位にランクインなど、多くのメディアにも取り上げられている。また、自ら講師を務める「戦略的目標達成プログラム『頂点への道』講座」は、講座開講以来、24年間で620回開催し、新規受講生は30,322名。その他、研修講師として、会社設立以来、334,204名の研修を担当。著書は、15万部のベストセラーとなった「一生折れない自信のつくり方」をはじめ、「松下幸之助に学ぶ 希望の哲学」など45冊。うち10点が海外(韓国で4冊、台湾で2冊、中国で4冊)でも翻訳され刊行中。専門分野は人材開発、キャリア開発、組織開発、営業力強化、選択理論心理学など。その活動の幅を広げている。2010年から3年間、法政大学大学院政策創造研究科客員教授として、講義「経営者論特講」を担当し、法政大学大学院 坂本光司教授が審査委員長を務める「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の審査委員も務めるなど、中小企業経営者教育に力を注いでいる。

*「選択理論心理学」 アメリカの精神科医ウイリアム・グラッサー博士が提唱した「全ての行動は、自らの選択である」という考えに基づく心理学。1965年に発表以来、世界各国で普及し、カウンセリングや学校教育、組織、家庭環境などさまざまな人間関係が絡む環境の中で、よりよい人間関係を築く手法として高い評価を得、幅広く活用されている。また、「選択理論」をベースとしているカウンセリング「リアリティ・セラピー」は、アメリカやカナダを中心に世界中に広がっている。

17歳で上京。溶接工見習いで働いている時、実の母親と再会

 青木さんは17歳の春に社会に出て、いろいろな職業を経験されたとお聞きしました。その間、どのようなことを学ばれたのでしょうか。

私は1955年3月、北海道函館市で生まれました。3歳の時に両親が離婚して父親が再婚、義理の母親に育てられることになったのですが、辛い境遇の少年時代を過ごしました。心の中では不条理をいつも感じていて、問題行動に出たこともあります。そして高校2年生の時、どうしても実の母親に会いたいと思い、青函連絡船に乗り家出を敢行。夜行列車に乗って上京し、友達のお兄さんの紹介で八王子の鈴木鉄工所というところで、溶接工見習いとして仕事をすることになりました。1974年の春のことです。

その年の夏、私を訪ねてくる女性がいました。見たことのある背中があり、その人が私のほうに向くと、いきなり言いました。「仁志!本当に、仁志かい!」。なんと、実の母親が半年近くの間、私を探していたというのです。私が家出した後、祖父に出したはがきの消印が八王子であったことから、私の写真と消印を頼りに、八王子近辺を必死に探していたのです。ここで初めて、私は実の母親の愛を確認することができました。

実の母親に引き取られ、母親と一緒に御徒町で喫茶店を始めることにしました。ある時、店の箸の在庫が切れたので業者に注文しました。今津さんという社長自らが納品に来てくれたのですが、この方との出会いが、私の人生を大きく変えることになりました。とにかく私は、今津さんにあこがれました。いわゆる“成功者”のイメージを持っていたのです。あこがれが強くなり、とうとう今津さんの会社に入社することになりました。

青木仁志さん インタビュー photo

高級日用品雑貨を販売する会社で、香港に仕入れに行くことが多く、私は今津さんのカバン持ちで、何十回も香港に行くことができました。当時は営業の基礎や人としてのあり方を徹底的に仕込まれましたね。今津さんは非常に私に目をかけてくれました。私も、子どもの頃からずっと飢えていた人との関係性を今津さんに強く求めました。「この人のために尽くしたい」と、心底思っていたのです。

今津さんの会社は共同経営だったのですが、共同経営者と別れることになった時、私は今津さんについていくつもりでした。ところが今津さんから、「仁志、お前はセンスがいいから、独立してやってみろ」と言われ、思い切って起業することにしたのです。毛皮などの高級日用品雑貨を仕入れて母親の知り合いに売る商売を始めたのですが、なかなかうまくいかず、よく焦げ付きを出しました。当時は20代の前半でしたから、資金繰りのノウハウもありません。そのうち商売に行き詰まってしまい、人の紹介でお金を借りたのですが、高利貸しで、3000万円の借金を抱えることに。弁護士に入ってもらい、元金だけは返済することにして、会社をたたむことになりました。

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