ベトナムで人材サービスを立ち上げて人生が変わった
――創業70周年で社長に就任。
「100年企業」への礎を築く

株式会社廣済堂 代表取締役社長

根岸 千尋さん

「安定した将来」か「未知なる挑戦」か 岐路に立った40代

2009年10月、40歳で廣済堂へ入社された経緯を教えてください。

前職のパソナフォーチュンはとてもいい会社でした。パソナグループとして安定したバックボーンがあり、福利厚生も充実していて、一緒に働く人材にも恵まれていました。何の不満もなかったのですが、40歳を目前にして、「40代の歩みをどのようなものにすべきか」を考えたときに、パソナの環境は私にとっては整いすぎているように感じたのです。

そんなとき、廣済堂の関係者から、「廣済堂はこれから改革していく必要がある。ぜひ君の力を貸してほしい」と声をかけられました。安定か、挑戦かという岐路に立った私は、廣済堂の改革を推し進める道を選びました。人材ビジネスだけではなく、複数の事業を展開し、多角経営をしている会社を成長・拡大させていくという、これまでにないミッションに惹かれたのも、理由の一つです。

廣済堂では、どのようなお仕事を担われたのでしょうか。

根岸 千尋さん(株式会社廣済堂 代表取締役社長)

最初のミッションは、人材ソリューション事業における人材紹介・人材派遣サービスの売上を伸ばすことでした。当時、人材ソリューション事業の売上の9割を占めていたのは求人広告サービス。ただ、当社が手がけている求人広告は紙媒体がメインだったので、紙からWEBへと急速に市場がシフトするなか、今後、売上を維持することは難しくなるだろうと予測できました。

そこで、社内売上のシェアが1割にも満たなかった人材紹介・派遣事業を軌道に乗せることが急務になったのです。人材紹介・派遣サービスを担当するメンバーには「いつか求人広告の売上を抜かそう」と言い続けました。そして昨年初めて、人材紹介・派遣の売上が、求人広告を上回りました。

2017年に取締役、2018年に常務取締役に就任されています。役員としてどのようなミッションを担われたのでしょうか。

取締役に就任してから、まず国内外全ての人材ソリューションサービスのマネジメントをするようになり、常務取締役に就任後は印刷事業の構造改革も担当しました。当社の印刷事業は、今、大胆な構造改革が求められています。もともと廣済堂は出版印刷を強みとし、誰もが知るメジャーな漫画や雑誌などの印刷を手がけてきた会社です。しかしながら、出版不況で紙の印刷需要が減っている現実を前に、これまで培った強みはそのままに、再度、ビジネスモデル自体を構築する必要が出てきています。

現在は、最新のマシンを導入し、デジタル印刷にも注力しています。デジタル印刷では、一枚一枚、異なる情報を印刷することが可能です。宛名印刷やナンバリング印刷に加え、読者の属性ごとに内容を変えて印刷するといった要望にも柔軟に対応することができます。私は、印刷事業における構造改革プロジェクトの責任者として、マーケティングサービスをより拡充させていく方向に舵(かじ)を切る役割を担ってきました。

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