激しい浮き沈みを経験した人材総合サービスの雄
「社会インフラ」として、価値あるサービスを企業と個人に提供する

株式会社インテリジェンス

高橋広敏さん

社長としての初仕事が、再生のための大構造改革だった

 社長となられた2008年は、リーマンショックがあった年ですね。当時、どのような状況だったのでしょうか。

高橋広敏さん インタビュー photo

リーマンショックと事業を拡大し過ぎたことの弊害という二重苦がありました。上場した2000年ごろは従業員数はまだ約300人でしたが、2008年には実に約6000人になっていたのです。当時は採用に積極的で、新卒・中途を合わせて年間で1000人を超える採用を行っていました。売上も、上場した2000年は120億円でしたが、2008年には800~900億円と急成長。またこの間の2006年には、学生援護会との経営統合がありました。これにより、念願であった自ら情報発信するメディアを持つことができたのです。

一方、短期間にこれだけの急拡大をしたこと、学生援護会という企業文化の異なる会社と経営統合したことなどによって、2007年から08年にかけては、組織内のガバナンスが悪化した時期でもありました。これではまずいということで、2008年には採用数を少し減らしました。そのように組織としての足場固めをしようと思っていたところに起きたのが、リーマンショックだったのです。大幅な需要の縮小が起き、毎月、受注が10%減少するという状況でした。6ヵ月連続で受注減少が続いた結果、2008年8~9月当時80億円あった月商が、2009年1月には30~40億円にまで減少しました。このように会社が拡大を急ぎ過ぎ、そこにリーマンショックが重なったことが、2008年に私が社長に就任した時、対峙しなければならない問題でした。

実は、もう一つ大きな問題がありました。学生援護会と経営統合した時に、USENとインテリジェンスの筆頭株主である宇野さんが保有している株式をどうするのか、という問題です。結論を言うと、USENは学生援護会の筆頭株主である米投資ファンド、カーライルグループから学生援護会の株式を買い取ったのです。そして、USENはインテリジェンスの筆頭株主である宇野さんから株式を取得し、学生援護会を統合したインテリジェンスの40%を持つ筆頭株主となりました。そして2008年9月、インテリジェンスは株式交換によりUSENグループに入り、上場は廃止されました。

このような状況の中で、社長就任の要請があったのです。この時は、リストラをしなければ会社が持たない、という状況であることは十分に分かっていました。リストラをするなら、新たなスタートを切る意味でも代表の顔を代えてやった方がいい、という判断でした。翌2009年1月4日、マネジャーを集めて、大きな構造改革を行う旨の説明をしました。オフィスは拠点数で言うと半分に減らし、従業員千数百人は希望退職・出向となりました。広告費は10分の1にまで削り、賞与・給与もカットし、役員の数も約半分に減らしました。

私の社長としての初仕事は、会社を生き残らせていくための構造改革だったのです。ただ、その時も「インフラを目指す」という思いは変わりませんでした。社員には「会社を再生させるために、今は全員分の座席はないので、全員を船に乗せることはできない。申し訳ないけれど、降りる人には降りてもらう」と話しました。また、このような状況では仕事を続けることができないと言う人には、船に乗らなくていいという話をしたのです。

 本当に大変な時期に、社長を引き受けることになったわけですね。

それまで取締役として、鎌田さんと一緒に拡大路線を取ってきたのは私ですから、その責任は取らなければなりません。そして、経営再建を目指して2009年を迎えたわけですが、今度はUSENの経営状況が一段と苦しくなってきたのです。そのため2010年にかけて、多くのコンテンツ・事業を売却し、2010年7月にUSENはインテリジェンスを米投資ファンドのKKRに売却することになりました。そして、インテリジェンスはKKRのポートフォリオカンパニー(投資先企業)となりました。

KKRは世界に名だたるトップファンドの一つです。KKRを納得させるような事業活動ができなければ、経営者としての自分はないと考えていました。皆も、同じような気持ちだったと思います。私としても回復への手ごたえを感じていて、その意味では会社の中での一体感はありました。そのような状態で、再スタートを切ることになったのです。この時は、また以前のような急激な膨張路線にならないよう、人事制度を整え、地道に事業に取り組んでいきました。

そして2年後には、業績もかなり回復していました。2010年に5ヵ年計画を立てたわけですが、3年目にはその目標を達成できそうな状況でした。そうした時に、今後の経営のあり方をどうしようかと関係各所に相談し、最終的に2013年4月、テンプホールディングスの完全子会社となる判断を下しました。テンプグループとの統合は、両者にとってWin-Winの関係だと思います。お互いに足りない部分の補完関係になるからです。テンプグループにとっては、インテリジェンスの人材紹介事業やメディア事業などの正社員やアルバイト・パート領域の事業を加えることができる大きなメリットがあります。おかげさまで我々は以前と同じように事業運営を続けることができています。

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