転職支援企業がなぜ「転職は慎重に。」と訴えるのか
人材ビジネスのあるべき姿を体現する
若きトップの信念とは

エン・ジャパン株式会社

鈴木孝二さん

詳細で正直な企業情報の提供でミスマッチを防ぎ離職を抑える

 鈴木さんご自身は当時、「エン・ジャパン」という新会社にどういう見通しを持っていらっしゃったのですか。

あまりに突然のことで、見通しも何もありませんでした(笑)。いきなり新会社への異動を命じられて、「急速に拡大するぞ」と言われたわけですから。時代の急激な変化の中で、競合も続々参入してきますから、悠長なことはいっていられませんでした。営業の現場としては、とにかく人を採用し、育成して、戦力化する。そして他社サービスとの差別化を図る。その積み重ねで、とても先を見通す余裕なんてありませんでした。

 とはいえ、実際に急成長を果たし、翌01年にはナスダック・ジャパン(現東証JASDAQ)への上場を実現しました。いま振り返って、その要因はどこにあると思われますか。

本当に自信を持っておすすめできるサービスを創り上げてきた、その一点に尽きると思います。もちろんそれは、いまも変わりません。たとえば中堅・中小企業の中には、強みや個性を持っているのにうまく表現できていない会社がある一方で、求人広告にいいことばかりを書き連ね、かえってミスマッチが起きるという問題で苦労している会社がたくさんあります。結局イメージ優先の広告で求職者をひきつけても、入社すれば、現実とのギャップに気づきます。結局、失望して辞めてしまうわけです。すると、さらにいいことばかりを強調し、人を集めては、また離職者を出す。それでは企業にも、個人にも、社会にもまったく貢献できていません。

鈴木 孝二さん インタビュー photo

われわれは代理店の時代から、求職者が本当に求めている、詳細で、正直な情報を提供することに注力してきました。課題や欠点のない会社なんて、世の中に一つもありません。それは本来、求職者もわかっていることです。ならば最初から、その会社のいい面も悪い面も、やりがいも厳しさも、正直かつ丁寧に説明し、納得してもらった上で採用したほうが、ミスマッチが少ないので定着する。企業にも、求職者にもメリットが大きいのです。当社の運営する日本最大級の総合求人・転職支援サービス『エン転職』では、営業が企業を訪れて取材し、第三者視点からの客観的な印象や評価も盛り込んだ広告づくりに努めています。それは自社媒体だからできること。「利用して良かった」と認めてくださるお客様が一社、また一社と増えていきました。分社して1年での上場は、自らの理念に基づくサービス開発を愚直に続けた結果でしょう。

もともと、日本の「求人広告」の礎はリクルートさんが築きました。コピーライティングに力を入れ、詳細な情報を記載した求人広告は、世界的に見ても価値の高いものです。われわれはその礎に「正直さ」と「第三者視点」を付加し、よりミスマッチをなくすようなサービスにしていこうという信念のもと事業を行なっています。

 新規事業のリーダーとして、人材を育成・戦力化し、現場をまとめるために一番腐心された点は何ですか。

当時は自分を含め、経験の乏しいスタッフばかりでした。それだけに、自分たちがやっていることにどこまで自信を持てるか、持たせられるかが問われました。マネジメント面で一番心を砕いたのは、そこです。正解を聞かれても、こちらもわかりません。まだ誰もやったことのない仕事を、やろうとしているわけですから。部下にも、自分自身にも、「絶対に大丈夫だ!」と言い聞かせて励ましながら、日々がむしゃらにやっていたような気がします。

もちろん理想論を語るだけでなく、それを結果に結び付けるために、掲げた目標は必ず達成するということも強く意識付けしました。目標は高すぎても、低すぎてもいけません。上司が部下のストレッチを促し、出した結果をきちっと評価することが大切です。そうして初めて、本当の自信をつかみ取ることができる。自信を得ると、人は見違えるほどチャレンジングになり、組織も強さを増していきます。そのプロセスを共にすることができたのは、私にとって貴重な経験でした。

 08年6月には、いよいよエン・ジャパン代表取締役社長に就任されます。ところが、そのわずか3ヵ月後にリーマンショックが発生。波乱の船出となりました。

新社長が就任すると、普通はどこの会社でも、向こう3ヵ年ぐらいのビジョンや経営プランを発表したりするものですよね。私も6月に就任して、8月にはそれを発表したんです。その矢先に、ドンと急降下。実際には08年の初め頃から、すでにマーケット全体の伸びが鈍化し始めていたので、さすがにピークは過ぎたものと見ていたのですが、まさかあそこまでいっきに崩れるとは、思ってもみませんでした。

最もひどかった09年5月の売上はピーク時の75%ダウン。それまで急成長に次ぐ急成長で、人員もどんどん増やしていましたが、リーマンショック直後は前向きな意思決定が何ひとつできなくなってしまいました。就任時に意気揚々と打ち上げた3ヵ年計画など、どこへやら。3年どころか、ひと月先も見通せない大混乱の中で、私自身、会社と1200名の社員をどう守るかという難題に、いきなり直面したわけです。

 想定外の窮地を、トップとしてどのような思いで受け止め、乗り越えたのでしょうか。当時の心境について、もう少しお聞かせください。

創業者は強烈なカリスマ性を持っていますから、私がその後を継いで、経営に自分のカラーを出したり、画期的な成果を挙げたりするのは、もともと非常にハードルの高いことだったんです。もしリーマンショックが起こらず、景気も当社もあのまま順風満帆の状態が続いていたら、先代との、トップとしての実力差がより明確になり、引き継ぐ難しさもいま以上になっていたかもしれません。そう考えると、たしかに窮地でしたが、市場環境自体が一変したことで、先代とは土俵が違うというか、比較の前提が異なり、ある意味、気が楽になった部分もありました。いや、無理にでもそう考えて、開き直らないと、とても前向きにはなれなかったでしょう。ようやく回復してきたいまだからこそ、言えることですが。

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