常識にとらわれず、本質を見極める
真っ先に相談される採用戦略のベストパートナーでありたい

株式会社アクセスヒューマネクスト 代表取締役社長

冨澤 一憲さん

冨澤 一憲さん(株式会社アクセスヒューマネクスト 代表取締役社長)

広報戦略から運営支援に至るまで、さまざまな事業を展開するアクセスグループ。その一員として、採用広報や人材サービスを手がけているのが株式会社アクセスヒューマネクストです。同社が目指しているのは、採用戦略のベストパートナーになること。多様な自社メディア、優れたクリエイティブワーク、豊富な経験とノウハウを強みに、顧客企業の人材に関わる課題解決を支援しています。同社代表取締役社長の冨澤一憲さんに、どんなキャリアを構築してきたのか、経営者としてどのような思いを持っているのか、日本企業における「採用」に関する課題は何か、などをうかがいました。
※本記事の内容は2019年1月時点のものです。

プロフィール
冨澤 一憲(とみざわ・かずのり)/1991年、株式会社アクセス通信(現在の株式会社アクセスプログレス)に入社。セールスプロモーション事業部部長、取締役を経て、2009年、採用広報事業の分社化に伴い、株式会社アクセスヒューマネクスト代表取締役に就任。

「頑張れば上に行ける」アクセスグループに入社。32歳で取締役に

冨澤さんは、どのような学生時代を過ごされていましたか。

私は高校時代、スキー部に所属していたのですが、冬は年末の合宿が始まって、全日本、国体、インターハイなどの予選が終わるまで1ヵ月半ほど学校に行けませんでした。当然、勉強もまるでわからなくなります。もともと理系を志望していたのですが「これでは無理だ」と思い、文系に変えて進学しました。

大学では、「もうスキーはいいかな」と思ってたまたま高校の先輩がいたオールラウンドサークルに入部。軟派なサークルではなく、「真面目に遊ぼう」をモットーとするサークルです。同期の仲間とバイクでツーリングに行ったり、友人宅で遊んだりして、楽しんでいました。役職には就いていませんでしたが、後輩からは「役職がないのに影響力を発揮できる冨澤さんのポジションに憧れています」とよく言われましたね。

夏休みや冬休みには、いろいろなアルバイトをしていました。「働いてみないと業界の裏側はわからない」と思っていたからです。ゴルフのキャディーやプールの監視員、スキーのインストラクター、トラックの運転手、旅館の住み込み従業員、ビアホールやスポーツショップの店員など、挙げると切りがありません。

どのように就職活動をされましたか。

就活はあまり真剣にやっていませんでした。3年生のときに1ヵ月ほどバイクで北海道を旅行し、4年生のときは大型バイクで北海道に行きたかったので大型バイクの免許をどうしても取りたくて、就活を後回しにしていたんです。受けた会社は2社だけ。知り合いから受けてほしいと頼まれたスキー関係の商社と、サークルの先輩が働いていたアクセスグループです。

東京で暮らすには初任給の高い会社でなければと考えていたのですが、スキー関係の商社は初任給が低く、住宅手当や社員寮もない。これでは生活するのに精一杯で、大型バイクのローンも支払えないと思い、入社しませんでした。アクセスグループは、サークルの先輩から「初任給が高い」と聞いていました。それ以外にも、決め手は二つ。「5年以内に会社の規模を倍以上にする」という説明を聞き、頑張れば真ん中よりも上にいけると思えたこと。自分のできることはモノを売る仕事だという認識と合致していたことです。

入社後はどのようなキャリアを積まれましたか。

入社したのはアクセス通信(現アクセスグループの中のアクセスプログレス)という会社で、プロモーション部門に配属され、プロモーション関連の企画提案を担当しました。もともと、大学生向けに旅行会社が企画した卒業旅行の販促の仕事をメインとする部署だったのですが、入社直前に湾岸戦争が起き、卒業旅行の自粛が相次いだんです。そのため、入社後は来る日も来る日も卒業旅行以外にプロモーションできることを考え、新規の商材を追いかけていました。その結果、卒業袴やクレジットカード、保険も取り扱いましたね。

その部門では15年働きましたが、32歳で取締役に昇格するほど、成果も上げていました。私が入社したころは部門全体で4人しかいませんでしたが、このころは社員数が増えて40人ほどの部門になっていました。

アクセスヒューマネクストの成り立ち、社長になられた経緯をお聞かせください。

2009年10月にアクセスグループの採用広報事業を分社化して設立されたのが、アクセスヒューマネクストでした。その1年半前にグループのトップから「今後はホールディングス体制に移行し、そのもとで専門性を持った会社をいくつか運営して競争力を高めていきたい」という方針を示され、「アクセスヒューマネクストの代表を務めてほしい」と言われていました。2001年から担当取締役として部門の責任者を務め、組織の長の仕事をしていたので、私自身は社長になっても役割はそれほど変わらないと思っていました。

HRソリューション業界TOPインタビューのバックナンバー