HR業界TOPインタビュー「人・組織」ビジネスを牽引する希代の経営者

「自分のキャリアは自分でつくる時代」が日本にも来る
そう直観したとき、「リンクトイン」が面白いと思った

リンクトイン 日本代表

村上臣さん

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村上 臣さん(リンクトイン日本代表)

日本でもキャリア自律の考え方が急速に広がりつつあります。会社に頼らずに自らのキャリアを描こうとする際、重要になるのが社外における人的ネットワーク。それは単に転職や副業の機会を得ることにとどまりません。最新情報に触れ、異なる考え方のプロフェッショナルと接することが、日々の仕事をよりクリエイティブにするきっかけになります。そうした人的ネットワークのインフラといえる存在が、世界で約7億人が利用するビジネス特化型SNS「リンクトイン」。2017年から同社の日本代表を務める村上臣さんは、かつて在籍したヤフー株式会社で、最年少の執行役員・CMO(チーフ・モバイル・オフィサー)として、全社のモバイルシフトを主導しました。オンラインサービスの世界を20年以上にわたって見つめてきた村上さんが、リンクトインでビジネスを手がける意味とは何でしょうか。また、「ウィズコロナ」の時代に日本のビジネスパーソンの働き方はどう変わっていくのでしょうか。日本の人事やHRソリューション業界への提言なども含め、語っていただきました。

Profile
村上臣さん
リンクトイン 日本代表

(むらかみ・しん)/大学在学中に仲間とともに有限会社「電脳隊」を設立。その後統合したピー・アイ・エムとヤフーの合併に伴い、2000年8月にヤフーに入社。一度退職した後、2012年4月からヤフーの執行役員兼CMOとして、モバイル事業の企画戦略を担当。2017年11月にリンクトインの日本代表に就任。複数のスタートアップの戦略・技術顧問を務めている。

1998年のシリコンバレーで「モバイルの時代」を確信

青山学院大学理工学部に在籍中から、有限会社「電脳隊」を立ち上げて活躍されていました。IT業界で起業しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか。

特に起業したいという明確な志があったわけではありません。アルバイトの延長で仕事をしていたら、どんどん案件が大きくなってきたので、個人事業主よりも会社でやろうと思ったのです。最初に「BASIC」という言語でプログラミングをしたのは小学校6年生のとき。中学時代はゲーム開発、高校時代は音楽のDTM(デスクトップミュージック。パソコンで音楽を制作すること)に打ち込みました。

転機は、大学に進学して秋葉原のパソコンショップでアルバイトを始めたこと。法人のお客さんが多い店で、「社内にイントラネットをつくりたい」といった相談に乗っているうちに、その仕事を個人で引き受けるようになりました。家庭の事情で生活費を自分で稼ぐ必要があったので、普通のアルバイトよりも効率のいい受託開発の仕事はありがたかったですね。同じような仲間が集まってできたのが「電脳隊」です。

「電脳隊」時代からモバイルには取り組まれていたのですか。

最初の2年間は主にホームページの受託開発です。モバイルの可能性に気づいたのは、インターネットビジネスの最前線を視察しようと、仲間たちと一緒にシリコンバレーに行ったときのこと。1998年なので、日本でiモードがスタートする前です。

立ち上がったばかりのモバイルベンチャーと意気投合したのですが、それが後にKDDIが手がける「EZweb」の裏側の技術を引き受けることになる会社でした。日本支社がない彼らの活動を我々が手伝うことになります。そんなダイナミックな動きに関わるうちに、「これからはモバイルの時代だ」と強く感じました。

電脳隊は、既存事業をすべてやめてモバイルベンチャーに生まれ変わりました。日本で初めての3キャリア対応型グループウエアを開発し、当時としては異例の13万人もの会員を集めました。草創期の日本のモバイル業界で目立つ存在になったことで、多くの会社が一緒にやろうと声をかけてくれました。そのうちの一社がヤフーで、2000年に合流することになります。

合流したヤフーは2011年にいったん退職されますが、翌年復職され、2017年まで執行役員・CMOを務められます。ヤフー時代のキャリアについて、お聞かせいただけますか。

ヤフーでも一貫して、モバイルに関連した仕事に携わっていました。合流直後は現役のエンジニアでした。フレームワークを決めて、自分でプログラミングも手がける。当時のガラケー版のヤフーモバイルは、半分くらい私一人で作ったと思います。25歳で当時最年少のチームリーダーになり、その後はやはり最年少の開発部長として、さまざまなモバイルサービスの導入をリードしました。私も含めて元電脳隊のメンバーは10人くらいでしたが、社内のさまざまな場所で「これからはモバイルだ」と言い続けて、まだまだPC版重視の傾向が強かったヤフー全体を変えていこうと頑張っていました。

しかし、最初の10年では、ヤフーがモバイルに本気になるように仕向けられませんでした。2010年前後になると、メルカリやLINE、スマートニュースといったカテゴリーキラーの競合が登場し、ヤフーのインターネット業界での王者の地位が危うくなっていました。私はもっと大胆にモバイルシフトを進めるべきと提案しましたが、リーマンショック後の景気後退もあって、社内には新しい方向に踏み出すことへの慎重論が強くありました。

そういった事情もあって2011年に退職し、電脳隊時代の仲間と二人でモバイル系ITコンサルの会社を立ち上げます。ヤフーでは少し現場を離れた時期もあったので、また最前線のダイナミズムを感じながらプログラミングをやってみたい、という気持ちもありました。

ただ、退職後もソフトバンクアカデミアを通じてSBグループとは良好な関係は続いていて、たまたま翌年「ヤフーの事業全体をモバイルファーストにすべき」という持論を提言する機会がありました。その後新しくなった経営陣がその考え方に同意してくれ、執行役員・CMO(チーフ・モバイル・オフィサー)として復帰することになりました。

以前は10年かかっても難しかったヤフーのモバイルシフトを、復帰後5年半で成功させることができた理由は何だったのでしょうか。

一番大きかったのは、経営陣が明確な指針を打ち出したことでしょう。当時のヤフーには「爆速」というキーワードがあり、それによって「すさまじいスピードでモバイル化をやりきる」というメッセージを全社に浸透させました。日々の業務の中にはっきりした指針が埋め込まれれば、もともと優秀な人が多いので組織もどんどん変わっていきます。

私自身は、「ページビュー」「広告売上」「EC売上」のすべての分野で「モバイル版がPC版を上回る」という明確な達成基準を設け、さまざまな施策を行いました。フレームワークから収益化の方法、パートナー企業の巻き込み方など、技術的にもビジネス的にも見直せる部分はすべて見直しました。私がヤフーに戻ったとき12%だったモバイル版のページビュー比率を、最終的には65%まで伸ばすことができました。広告売上・EC売上でもモバイル経由がそれぞれ50%以上となり、モバイルファースト実現の基準として掲げた三つの目標をすべてクリアできました。


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