英会話スクールの運営を通じて思いついたアイデアを具現化して起業
夢とアイデアと情熱で、ネット求人事業に道を拓いたベンチャー魂

ディップ株式会社

冨田英揮さん

冨田 英揮さん

企業の採用意欲の回復に伴い、求人広告メディアも活況を呈しています。特にインターネット媒体はその傾向が強く、情報誌やフリーペーパー、折り込みチラシなど、これまで主役だった紙媒体からその座を完全に奪う勢いです。このネット媒体にいち早く特化し、スマートフォンなどパーソナルメディアに対応する戦略で他社を先行してきたのが、アルバイト情報サイト「バイトル」や派遣情報サイト「はたらこねっと」を運営するディップ株式会社。アベノミクス相場にも乗り、3年で株価50倍という急成長を果たしました。「当社の主力であるアルバイト情報市場は正社員や新卒など他の求人に比べ、まだまだ紙媒体の比率が大きい。しかしスマートフォンの普及でネット情報へのシフトが加速しています」――同社を率いる冨田英揮社長は先行きに自信を深めています。しかしこの事業が軌道に乗るまでの冨田社長の道のりは、まさに波乱万丈。夢とアイデアと情熱だけで走り出した、ベンチャーの苦楽のすべてが、そこに詰まっているといっても過言ではありません。

Profile
冨田英揮さん
ディップ株式会社 代表取締役社長

とみた・ひでき/1966年愛知県生まれ。1990年、株式会社地産入社。その後、ゴルフサービス会社、英会話スクールなどを経て、1997年ディップ株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。

父の背中を追いかけて――受け継いだ起業家スピリット

冨田 英揮さん インタビュー photo

 業績は3期連続で過去最高を更新。日本企業の採用意欲の回復と軌を一にした急成長ぶりから、貴社の躍進を「アベノミクスの恩恵を最も受けている企業の一つ」と評価する向きもありますが、冨田社長ご自身は現状をどうご覧になっていますか。

確かに景気回復の追い風も受けましたが、それだけではありません。2004年の上場後、まだ社員数が300名ほどの頃から、われわれは新卒社員を約200名採用し、3年がかりで計画的に教育を進めてきました。それは当然、現在のような成長を想定し、実現するために描いた戦略ですから、その意味では計画通りといえば計画通り。意外でもないし、特に恵まれたとも思っていません。リーマンショックでは、求人ビジネスのマーケットは3分の1まで縮小し、多くの同業他社が大規模なリストラに踏み切りました。しかし我々はそれをせず、逆風下でも人を守り育てました。景気の風向きが変わったとき、アベノミクスという追い風にいち早く乗ることができたのも、弊社には人材が質・量ともに揃っていて、彼らが成果を発揮してくれたからなんです。

 何よりも人材が要因だということですね。

はい。弊社では「夢とアイデアと情熱で社会を改善する存在となる」を企業理念に掲げていますが、夢も、アイデアも、情熱も、そこに“人”がいなければ、生まれようがありません。人材こそがビジネスの生命線であり、夢とアイデアと情熱を持てること、持ち続けられることが人材の“人財”たるゆえんではないでしょうか。私も、起業を志した当初はたった一人。資金もスタッフも人脈もなく、あるのは夢とアイデア、そして情熱だけでした。このDream、Idea、Passion の頭文字を組み合わせて、「dip」という社名に込めたのです。

 その起業のきっかけ、原点についてお聞かせください。同じく起業家だったお父様の影響が大きかったそうですね。

幼稚園のころでしたか、父が教材販売の事業で成功して、それまで住んでいた名古屋市内の公団のアパートから、お手伝いさん付きの郊外の一軒家に引っ越したんです。1日にして環境が激変し、子供心にも、すごいなあと思いました。父は、若いころにアメリカ映画を見て憧れたことをすべて実現してやろうと考えるような人でした。大きな家、ベンツのオープンカー、週末のパーティー――わかりやすい趣味ではありますが、貪欲に夢を追い求めた人であり、自分もそういう父の生き方や生活に大きな影響を受けたことは間違いありません。

 事業やビジネスへの興味も、そうした環境の中で自然と育まれていったのでしょうか。

父の事業を継ぎたい、継ぐのは自分だという思いは昔からありましたし、蛙の子は蛙といいますか、商売っ気のようなものは元々あったような気がします。学生時代には、アルバイトをしていた飲食店が店を閉めるというので、その後を引き継いで切り盛りするというようなことも自然とやっていました。当時はバブルの絶頂期。仕事の面白さに目覚めたのはそのころかもしれません。働けば働くほど、お金が稼げたわけですから。

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