企業社会を支えるソフトインフラへ――
“給与業務”から日本のアウトソーシングを変える

株式会社ペイロール

湯淺哲哉さん

湯淺哲哉さん

「日本企業の給与計算は特殊だから、アウトソーシングは絶対に無理」――株式会社ペイロール代表取締役社長の湯淺哲哉さんが、それまで同社を支えてきた事業を撤収し、新しく給与業務アウトソーシングへと舵を切ったとき、聞こえてきたのは固定観念からの批判や反対の声ばかりでした。それから17年。同社は、無理といわれた給与業務のフル受託を実現し、240社・83万人に給与サービスを提供する業界No.1のアウトソーシングベンダーに成長しました。国内における給与業務アウトソーシングの普及率はいまだ2割程度といわれますが、同社の躍進にもけん引されて、近年、市場は着実に拡大しつつあります。逆風の中、湯淺社長はいかに勝機を見出し、どのようにして業界にイノベーションを起こしたのか――じっくりとお話を伺いました。

Profile
湯淺哲哉さん
株式会社ペイロール 代表取締役社長兼CEO

ゆあさ・てつや/大学卒業後、東芝情報機器に入社。退社後に記帳代行を事業とするビジネスを立ち上げ、1997年には事業主体を給与業務のアウトソーシングに移行。現在は日本で初めて給与業務に特化した「フルスコープ型アウトソーサー」として、業界を問わず多くの大手企業にサービスを提供している。

世界最大のアウトソーシングベンダーへの訪問が転機に

湯淺社長は、給与業務に特化した日本初のアウトソーサーとして、人事部門が担っている業務のほぼ100%を請け負う画期的なサービスを確立されました。人事労務のスペシャリストかと思いきや、まったく畑違いのご出身だそうですね。

起業する前は、東芝情報機器という東芝グループのOA販社でシステムエンジニアとして働いていました。大学は工業大学だったのですが、自分でもどうして入ったのかと後悔するほど向いていなくて。実験でも何でも、ついていくだけで精一杯。東芝に入るときも、最初はカスタマーエンジニアとして採用されたのですが、はんだごてを持ってあちこち修理して回るなんて無理ですから「できません、それなら辞めます」と正直に言ったんです。「じゃあ何がやりたいの?」と聞かれたので、「営業」と答えたら、工業大学を出て営業をやるヤツはいないと言われて。仕方なくカスタマーエンジニアと営業の間をとって、SEになったわけです。

それは意外です。東芝時代はどんなサラリーマン生活を送っていたのですか。

株式会社ペイロール 湯淺哲哉さん インタビュー photo

すごくラッキーだったのは、社内に新しい部署ができ、私を含め同期三人がその部署を任されたんです。入社4年目でしたか。当時はまだオフコンの時代ですが、そのアプリケーション・パッケージを自分たちで企画、開発して、売って歩くという、あの頃の東芝関連ではちょっと考えられないような自由なセクションでしたね。病院にある自動再来受付機とか、レセプトの管理とか病院関係のシステムを中心に、そこでいろいろなことをやらせてもらいました。自分で考えてものをつくる喜びも覚えましたし、しかもちょっと売れたもんだから、これは自分でやったらもっと儲かるのではないかと考えました。もともと漠然とですが、30歳になったらサラリーマンは辞めようと考えてもいましたからね。

その後、退職を決断されたわけですね。そして1989年に独立。当初は、所得税申告の記帳代行ベンチャーとして御社を起業されました。

起業といっても、大した思いがあったわけではありません。記帳代行に目をつけたのも、システムは自分でつくれるから、一人でアパートでも借りてやればそんなに元手がかからない、お客さまも割と簡単に増えそうという甘い見込みからでした。たまたまそのビジネスをフランチャイズ展開している会社があったんです。営業の仕方とかは教えてあげると言うので、いい気になって始めたら、これが大失敗。だまされました。何一つ支援してくれないし、営業のツールもない。なけなしの軍資金だけ取られました。最初の大きな挫折でしたね。それでも何とか踏みとどまっているうちに、気がついたんです。ビジネスは、自分が食べていくためだけに、一人でやっていても楽しくないんだ、と。そこから会社とは何か、組織とは何か、自分はビジネスをどうしたいのか、いろいろなことを本気で考えるようになりました。

記帳代行ビジネスそのものは、96年まで7年間続けていらっしゃいますね。

ピーク時には個人事業主を中心に1万数千人の顧客を抱え、それなりに順調でした。しかし一方で、大きな壁にぶつかっていたんです。どういうことかというと、われわれはきちんと完璧な帳簿をつくるのですが、顧客の一番のニーズはそこではない。お客さまは正確な帳簿より、その帳簿によって払う税金が少しでも低くなることを求めるんですね。どれだけきちんと仕事をしても、当然税金は下がらないから、お客さまは喜びません。そうなると、こちらのモチベーションも上がらない。そこに壁を感じていたんです。

ちょうどそんなときに、誘われて参加した米・ニューヨークへの視察ツアーで、ADP(Automatic Data Processing, Inc.)という企業を見学する機会に恵まれました。その会社こそが全米に50万社の顧客を持ち、2300万人以上の給与関連業務を代行する、世界最大のソーシングベンダーだったんです。あのときの衝撃は今でも忘れられません。オフィスが大きくて、基幹業務以外にも受付やら、託児施設やら、とにかくすごい数の雇用がそこに生まれていました。たかが給与計算と思っていたのに、これだけの人を養えるビジネスなのかと、圧倒されましたね。しかも当時は、まだ給与を小切手で払っていましたから、そのオフィスで小切手も印刷していたんです。案内役の人が「これ(印刷機)が止まると、アメリカが大変なことになるんだ」と言っていました。企業にとっても、社会にとってもなくてはならない基盤=「ソフトインフラ」になりうる新しいサービスを見出したことに、私は興奮を抑えられませんでした。

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